(4)人は神に仕えるためにつくられた

 「アッラーのほかに神はない」とは、単に宗教的な意味で崇拝の対象となる方はアッラーのほかにはいない、ということではありません。なぜなら、なんらかの宗教を信じている人だけでなく、無宗教、無神論の人もまた、自分の「神」を持っているからです。生きる支え、生きがい、というふうに言い換えてもいいかもしれません。

 人は誰も、「神」なしには生きえません。なぜなら、人はそもそも「神に仕える」ように作られているからです。クルアーンの中でアッラーは仰せられました、『われがジン(妖霊)と人間を作ったのは、われに仕えさせるためにほかならない』(第51章56節)。

 神に仕えるという性向を植えつけられた私たちは、アッラーという正しい崇拝対象を得ないと、その代わりとなるものを他に求め、例えば、恋人、子供、会社、国家、芸術、思想、あるいは富、名誉などを「神」とし、それに仕えます。多神教とは、なにも木や石の神々を崇拝することばかりでなく、そうしたものに自己の存在を過度に依存させることもまた、多神教なのです。

 それらを「神」とする者は必ず裏切られます。なぜなら、それらは、どんなに揺らぎない価値を持っているように見えても、しょせん有限であり、それゆえ変化と消滅を免れ得ないからです。