(30)すべてを受け入れるところから始まる

 すべてはアッラーによって予め決められているということは、私がこのような顔をし、このような能力で、このような思いを持つこともみな、私がそれに満足しようとしまいと、初めからなんらかの理由でアッラーに定められたことだということです。そうであれば、自分の不細工さも、不器用さも、不甲斐なさもみな、誰を恨むことでもなく、ありのままに受け入れるしかないと覚悟が決まります。

 私たちの人生は、ちょうど障害物競走のようなものです。カモシカのような軽やかな足を与えられ、飛ぶように走る者もあれば、重い荷を背負わされ、一歩進む度に苦しい息を吐かなければならない者もあるでしょう。勝負は、誰が早くゴールに達するかで決まるものではありません。負わされた障害物を抱えて、いかに前に進むか、その姿勢が問われるのです。ですから、人がどれほど早くどれだけ先に進もうと、自分には関係のないことです。初めから負わされたものが違うのですから、人と比べてみても仕方ありません。多くを与えられた人にはそれだけ多くの義務が負わされるでしょうし、与えられなかった人は、与えられない、という恵みを与えられているのです。追い抜くべき相手は昨日の自分であり、要はアッラーから与えられた自分だけの課題にどう立ち向かうかです。

 アッラーがこの私をこのように創られたのだ、そこにアッラーの愛を感じることができた者は、ありのままの自分を愛するようになるでしょう。そして、どんなに不甲斐なくても、たとえ躓いて痛い思いをしても、ただ今の自分から目を逸らさず、また、それを甘やかすことなく、自分をこのように創り給うたアッラーへの信頼という確かな足場に立って、明日のより良い自分に出会うために新たな一歩を踏み出すことができるでしょう。

 皆さんに、アッラーへの信仰に目覚める日が来ますようお祈りします。

2007.3.3