(29)定命

 ムスリムは、自分に降りかかるものはすべて予めアッラーによって自分の分け前として振り当てられていたものだと信じます。ちょっとタイミングを外したばかりに自分のものとなるはずの幸運が手をすり抜けてしまったり、運悪く人の不幸を被ってしまうようなことはないと知っています。ですから、幸運を過度に喜んだり、不幸を過度に悲しんだりすることはありません。

 なにが災いし、なにが幸いするのか、すべてが終わってみないことには私たちにはわからないのです。災いと見えたものが後の幸福につながり、逆に幸運と思えたものが後の災いの始まりだということも十分あり得ます。いずれにせよ、アッラーの手の元にあるものはすべて良いものばかり、私のためになるものばかりです。そう信じることのできるムスリムの心は穏やかです。明日の不安から解放されています。昨日の後悔も引きずりません。

 預言者ムハンマド(彼にアッラーの祝福と平安あれ)は、「もし、あのとき、ああしていたら・・・」などとは言わないように、「もしも・・・」という言葉は、シャイターンに仕事を与えることになる、と言っておられます。起こってしまったことは起こってしまったこと、そのことをくよくよ思い悩むことは、アッラーの決定に不満を呈することに通じるからです。

 すべてはアッラーの定めに従って起こるべくして起き、偶然と思えることも偶然ではありません。すべてはすでに決まっていると知ったムスリムは、岐路に立ってどちらの道を選ぶか迷いますが、どちらの道を選んだとしても、そして、たとえそれが間違った選択だったと後から気づくことになったとしても、自分はそれを選ぶべくして選んだのだ、とその選択の結果をそっくり引き受け、そこから自分の明日を切り開いていこうとします。