(28)火獄

 アッラーを信じさえすれば、それだけで楽園入りが保証されるわけではありません。信仰には、信仰を具現する行いが伴われなければなりません。たとえ、アッラーを信じていても、アッラーに背いた行いをした者は(アッラーの恩寵によって赦されれば別ですが)その清算を火獄の中でしてからでなければ、楽園には入れません。また、アッラーを否定した者は、たとえどんな善行を積んでいようと、火獄に落とされ、決してそこから出されることはないでしょう。

 楽園の報いが、それぞれの行いに応じて様々であるように、火獄の懲罰も、罪の程度に応じて多様です。私たちは、燃え盛る火に一瞬でも触れることを恐れますが、火獄の火は私たちの知っている火の7倍も熱いと言われます。火獄に落とされた者は、一瞬でも耐え難いこの世の火よりさらに7倍熱い火獄の火に果てしなく焼かれ続けます。この世の火であれば、耐え難い数分を過ぎれば、皮膚は焼けただれ、感覚はなくなり、死によって苦しみから解かれますが、火獄の苦しみに終わりはありません。皮膚は何度も何度も再生し、火は不死となった身を永遠に焼き続けるのです。

 「もし楽園に入るのがたった一人で、残りの者はみな火獄行きだとしたら、自分こそが楽園に入る一人であると期待するだろう。だが、もし火獄に入るのがたった一人で、残りの者はみな楽園に行くのだとしたら、自分がその火獄に落とされる一人であると思うであろう」という言葉をある敬虔なムスリムが言ったと伝えられますが、信仰深いムスリムは、信仰を深めれば深めるほど、自分が火獄行きではないだろうかという恐れもまた深めるものです。アッラーよ、どうか私たちを火獄の懲罰からお護りください。