(27)楽園

 来世の私たちの行く末は2通りです。アッラーを信じた者は、己の罪を火獄で清めた後、あるいは、アッラーの御慈悲によって懲罰を免じられた後、「平安あれ」と言う挨拶と共に楽園に迎え入れられます。緑滴る楽園は、願望の具象化、永遠の至福の比喩表現などではなく、甦って不死の肉体を与えられた者たちの実際の住まいです。清らかな泉が流れ、色とりどりの果樹が実り、鳥が飛び交う楽園の中に壮大な住居を与えられた彼らは、望むものをなんでも与えられます。クルアーンは、楽園に対する私たちの希求を煽るためにそこがどんなに素晴らしいところか様々な描写を重ねて示していますが、しょせん、それらは私たちの想像力が及ぶだけのものにすぎず、実際の楽園はそれを遥かに越えた、まさに想像を絶するところです。

 楽園の住民にはもはや悲しみも不安もなく、不和も不当な扱いもありません。みなが1つの心のようになって平安の中にくつろぎます。望むものはなんでも手に入ります。おいしい食べ物もおいしい飲み物も、なんの努力も要せず手を伸ばせばそこにあります。しかし、物理的な至福はほんの序の口の喜びにすぎません。

 楽園の住民にとって最大の喜びは、彼らの主アッラーの御満悦を得ること、そして、見えないままに仕えてきた愛する御方に拝謁することです。その喜びは、楽園の素晴らしい光景すら忘れ去るほどのものに違いありません。クルアーンに、『己の主の拝謁を希求する者は、彼の崇拝になにものをも並び置いてはならない』(第18章[洞窟]110節)とありますが、アッラーとの拝謁を望む信仰者は、地上の恵みであろうと天上の報いであろうと、それがアッラーからもたらされるものであろうとも、それに気を取られてアッラーから目を逸らすようなことがあってはならないのです。