(26)死を与えるもの

 この世に存在するものの生死を決めるのはアッラーのほかにありません。アッラーの99の御名の中に、「生かす御方」と「死なす御方」という名がある通りです。クルアーンの中に、王権を授けられ思い上がった王が、自分こそが生かし、また、死なせる者である、と主張したという逸話が出てきます(第2章[雌牛]258節)が、いつの時代も権力を手にした者は支配下のものの殺生権は自分の手に委ねられているという錯覚に陥るものです。それはなにも、かの暴君、かの独裁者のことばかりを言うのではありません。人間自体、思い上がって、他の生き物の殺生権を握っていると勘違いし、生存のためならまだしも、止まるところを知らない食欲を満たすために生き物をまるで物のように飼育し、まるで物を処理するように殺しています。

 ムスリムには豚肉の食用が禁じられますが、その他の食用を許された牛、羊、鳥などの食用動物も、アッラーの御名を唱え、「アッラーフアクバル」と言う言葉を添えて殺されたもの以外、基本的に口にはしません。なぜなら、生き物の殺生権はそれらを創ったアッラーの御手にあり、それを勝手に無許可で殺すことは許されないからです。ムスリムは、実りを収穫する時、食べ物を口にする時、その他諸々の行為を始めるにあたって、「ビスミッラー(アッラーの御名において)」という言葉と共に始めるよう心がけますが、これは、私たちの命を支えるあらゆるものがアッラーからの恵みであることをその都度思い起こすためです。

 なぜ自殺はいけないのか、なぜ人を殺してはいけないのか、そんな基本的なことに対する答えも現代人は失っているようですが、ムスリムにとってその答えは単純明快です。自分の命であろうと他人の命であろうと、およそこの世に生を受けたものの命は、それを与え給うたアッラー以外に取り上げる権利はない、ただそれだけのことです。
 ちなみに、自ら命を絶った者は、それによって生き地獄の苦しみから解放されると思うのはとんだ間違いで、本物の火獄で繰り返し繰り返しその自殺の苦しみを味わうはめになるそうです。