(24)生という試験と死後の清算

 いったい、自分の存在とはなにか。私たちはなぜ生を受け、なぜ死ぬのか。どこから来て、どこに行くのか。人間はずっとこの疑問をめぐって哲学的思弁を重ねてきましたが、人間を創り、人間に生死を付与し給うたアッラーのほかにどうしてその答えを知りえましょう。クルアーンの中でアッラーは、人間を死ぬべきものとして創った理由を次のように説明しておられます、『彼は、おまえたちのうちいずれが行いにおいて優れているか、おまえたちを試みるために死と生を創り給うた』(第67章[王権]2節)。

 私たちのこの世の人生は、やりっぱなしの人生ではありません。それは、例えるなら、「試験」のようなものです。そして、どんな試験にも制限時間があり、その後には採点が待っているように、私たちの人生も、死の終止符を打った後にアッラーの御前で清算を受けます。そして、その結果、楽園、あるいは火獄に入れられます。

 この世の生を終えた後、アッラーの審判を経て永遠の楽園か火獄に選別されるのは、アッラーに従うか従わないか、自分の意志による選択肢を与えられた人間(とジン)だけで、選択の余地なくアッラーに服しているその他の生き物に「来世」はありません。

 すべてを見通すアッラーには、私たちを「試験」にかける必要はないのですが、私たち一人一人が自分の判定結果に納得するよう、わざわざ試験し、さらに審判に立ち合わせ給うのです。

 アッラーがどれほど公正な御方であるかを示す1つの伝承があります。それによると、アッラーは、角のある鹿とそれに小突かれた角のない鹿を審判の日にいったん甦らせ、一方に生前に受けた仕打ちと同じものを他方に対してやり返させた後、両者を土に戻されるということです。
このようにアッラーはどんな小さな不正も、人間の間だけでなく、動物の間ですら清算なさいます。ただし、その後に永遠の生が待っているのは人間だけで、動物は再び土に戻され、完全な無に帰ります。それで、火獄の永遠の懲罰に向かう不信仰者たちは、「ああ、われらも土のままであったらよかったのに」と来世での「不死」を嘆くのです(第78章[消息]40節)。