(13)サムシンググレートとアッラー

 特定の宗教は持たなくても「神」の存在を信じている人は少なくありません。多くの人にとってその存在は「神」と名づけられてすらいないかもしれません。いずれにせよ、自分の存在の元を創り、自分の存在の今を支える大いなる力、つまり、「サムシンググレート」に対する畏怖と感謝の念を無信仰の人でも大なり小なり持っているはずです。日本人は行く先々の神社で手を合わせますが、その都度その神社に住まう個別の神さまに向かって祈っているわけではなく、はっきりと意識しないままにこの「サムシンググレート」に祈っているのではないでしょうか。

 この「サムシンググレート」について私たち人類が思い描くイメージは民族を超えて一様です。それは必ず慈愛溢れた輝ける善なる存在であり、人類に「愛」や「平和」のメッセージを送っています。崇拝形式は異なっても、また、たとえ多神教であっても、この大元の神のイメージは一つです。しかし、その神のイメージは間違いではないものの、非常に不正確なものです。アッラーは、そのような漠然とした、私たちを包み込む空気のように不可欠だけれども存在感の薄いものではありません。また、そのような抽象的なメッセージを送るしか私たち人類とコミュニケーションの手段を持たない方でもありません。アッラーはもっと積極的に人間とかかわり、もっと具体的に人間に理解できる言葉で語り給うています。