(11)ラーイラーハイッラッラーと南無阿弥陀仏

 「イスラーム」の訳語には「帰依」がぴったりだと言いましたが、「ラーイラーハイッラーッラー」が意味するところと「南無阿弥陀仏」が意味するところは、ほとんど同一です。アッラーのほかに拠り所はありません、というのと、阿弥陀様にただただおすがりするよりほかありません、というのは同じ絶対帰依と絶対他力の表明にほかならないからです。

 イスラームは信仰者にさまざまな義務負荷を課す「自力的」な宗教であるという印象が強いかもしれませんが、実は、救済はそうした義務履行の代償として与えられるものではなく、ひとえにアッラーの御慈悲にかかっているのであり、善行をなす力、善行をなそうという意志自体アッラーからもたらされ、その外では何一つなし得ない、とする絶対他力の宗教です。

 善をなすことすらあたわない弱い自分をありのままに阿弥陀に委ね、ただひたすらその御慈悲だけを頼りに、「南無阿弥陀仏」という御言葉の力にすがって彼が呼び招く極楽浄土を望む浄土真宗の信徒のあり方は、「ラーイラーハイッラッラー」の御言葉を救済の手がかりとして来世の楽園を目指すムスリムとなんら違いません。