(4)目撃証言

 私たちの五感ではアッラーは捉えられません。知覚できないアッラーをどうやって目撃し、その目撃証言をすることができるのでしょうか。

 私たちは、太陽がさんさんと輝いている日には、窓から首を伸ばして太陽を目で確認しなくても、太陽が出ていることがわかります。外が明るく、お日様の光が家の中に差し込んでいれば、それだけで今日は晴天だとわかるのです。アッラーも同じです。私たちにはアッラーご自身の姿を捉えることはできませんが、アッラーの存在を証明する紛うかたない印は目の前に、そしてさらには自分自身の中に満ち満ちているからです。普通の日本人が「自然」と呼ぶもの、つまり自然に何者の手も借りずにできあがったと信じている自然界のすべてがその作者であるアッラーを言外に指し示しているのです。

 あるとても敬虔な人が、「私は真の信仰者として朝を迎えた」と言ったときに、「なにをもって真の信仰者と言うのか」と尋ねられて、「私は楽園の住民が嬉々として互いを訪ねあうのを目にするようだ。また、火獄の住民が劫火に焼かれて泣き叫ぶ様を目にするようだ。それでこうして昼は斎戒し、夜は礼拝に立って過ごすのだ」と答えたという話が伝えられます。「神を信じる」とは、人間の知覚を遥かに超えた神をあたかも目の前にするかのように畏怖と感謝の念と共に神の命に服して生きることなのです。