ヴェールの内側から

なぜ、ムスリマ(女性イスラーム教徒)がヒジャーブ(ヴェール)をかぶるのか、といった疑問は多くの方がお持ちだと思います。伝統や風習の一部としてかぶる人、周囲の目を気にしてかぶる人、宗教の実践としてかぶる人、実際にはいろいろな人がいることも確かです。
 ここでは、ヴェールをかぶることに納得した著者の率直な感想が述べられます。


ヴェールの内側から
中田香織著

 私がムスリムになった当時、フランスでは、校内でのヴェール着用の是非が世論をにぎわしていた。宗教シンボルであるヴェールの着用は宗教的中立を掲げる公立学校の方針に反する、というのが大方の主張だった。宗教的に中立の立場を取るからこそ信仰の自由は尊重すべきであろうし、授業に差し障りがあることならともかく、単なる服装の問題になにをそう大袈裟に騒ぐか、と私には理解しかねたが、服装の問題だからこそ「目障り」だったのだろう。失業率の増加、治安の悪化とからんだアラブ人移民労働者問題にフランス人がナーバスになっている証拠に違いなかった。

 一方、アラブ諸国でも植民地時代の西洋化に対する反動から若い世代が再びヴェールを被り出していた。イスラームの後進性の象徴とみなされてきた女性のヴェールは、近代のアラブ諸国への西欧文化の流入によって、一時、いずれ廃れる運命にあるものと見えたが、今また急速に復活の兆しを見せている。こうしたヴェール復活に象徴されるイスラーム復興の動きは、一般には植民地化によって引き裂かれたアイデンティティーと経済的立ち遅れによって傷つけられた自尊心を取り戻すための試みと解釈される。

 アラブ人ムスリムのイスラーム固執は、おそらく一般的日本人の目には、伝統に固執する保守主義か感情的なアンチ西欧主義の現れとしか写らないに違いない。明治の日本人が西欧文化の流入に大いに反発し、着物から洋装への移行にも抵抗を示したのとあまり変わりない現象だと見ているのではないだろうか。人は一般に保守的な傾向を持ち、新しいものには善し悪しに関係なく反発を覚えるものである。

 ムスリム女性が抑圧の象徴であるヴェールに固執するのも、彼女ら自身が伝統に捕らわれ抑圧の事実に目覚めていないからだと考えられる。女性の解放、自立という時代の流れがいずれムスリム女性の許に届いたとき、彼女らもヴェールを取るだろう、などという手前勝手な予測がなされたりする。

 こうした見方がなされるのは、ムスリムにとってイスラームの教えは普遍的であり、時代の流れによって変わるものではないということが理解されていないためと、世俗主義、折衷主義的な宗教が氾濫するあまりムスリムのように生活の中心に信仰を据える生き方が信じられなくなっているためだろう。が、「進歩的」世俗主義者の予測に反して、イスラームを真の宗教と認め、ヴェールを被る女性は減少の傾向にあるどころか、国籍を越えて世界中のいたるところで増えている。私はほんのその一例にすぎない。

 ボーン・ムスリムと違って、私にはヴェールによって守らなければならない国も伝統も民族的アイデンティティーもない。私にとってヴェールは、社会的、政治的意味は持ちようがなく、私がヴェールを被るのは純粋に宗教的動機によるものでしかない。

 確かに、外から眺めたヴェールはとらえがたい異物である。女性の髪を隠すだけでなく、不透明な意味を隠し持つように見える。その不透明さこそが外の人間を不安にさせるのだろう。外からは決してヴェールの内側は見えないのである。

 私は90年冬にパリで入信して以来、ずっとヴェールをつけている。ヴェールといっても国によって、あるいは宗教意識の違いによって様々な形があり、私のヴェールも環境と意識の変化によってこの2年間に4段階に変化した。フランスでは服の色と揃えたスカーフをふんわりと被り首にくるくると巻き付けていたからファッションと見えたかもしれない。サウディアラビアに住む現在は、頭の先から足の先まで真っ黒、目も隠し、これ以上はもう何も隠しようのない格好をしている。ヴェールと称されるものの一番単純なものから一番極端なものまでを経験したことになる。

 私にとってヴェールがなにを意味するのか、ヴェールの内側からなにが見えるのかをここで話そうと思うのは、これまでヴェールについて書かれてきた多くのものが常に外からの視点を取っていることに不満があるからだ。実は、ヴェールには中からでなければ見えて来ないものがあるのである。

 2年前、入信した当時にさかのぼってみよう。入信を決意した時の私は、ともかくムスリムになりたい、という気持ちが先行し、1日5回の礼拝やヴェールの着用については深く考えていなかった。深く考え出したら入信の決意が揺らぐような気がして、あえて考えまいとしていたのかもしれない。なにしろ、1か月前にパリのモスクを訪れるまではイスラームとはまる無縁の生活をしていた私である。礼拝やヴェールになじみがなくても無理はなかった。礼拝する自分、ヴェールを被った自分など想像しにくかった。ただ、長いこと捜し求めていた真理にやっとたどり着いた、という思いだけは確かで、それがそうした先の不安を不安とも思わせなかった。やはり1つの奇跡が起こったのだろう、アッラーフクバル。

 しかし、ヴェールが私にもたらす効果はその時すでにはっきりと意識していた。モスクの勉強会に参加し、姉妹たちと共に礼拝し、そのままヴェールを被って門を出たのがヴェールを着けて外を歩いた最初だった。モスクの勉強会の後には、どんな面白い大学の講義、あるいは寺院や教会の説教からも得たことがなかった「霊的な糧を得た」としかいいようのない幸福感、今までに知らなかった不思議な高揚感に満たされていた。その幸福感に水を差すようでヴェールを外す気になれず、そのまま被ったままでモスクの外に出たのだった。季節が冬だったということも私に幸いした。

 被って外を歩いてみると明らかにいつもの自分と感じが違うことに気づいた。とても清々しくなったような感じがするのだ。そしてまたヴェールがシェルターとなって自分を守ってくれるような、アッラーに見守られているような安心感があった。

 外国に住む身として、通りや乗り物の中で(男性の)好奇の目にあうことがあり、しばしば居心地の悪い思いをさせられることがあったが、ヴェールを被っていると、見られていながら見られていないような感じがした。見られているのはヴェールであって私自身ではなかった。

 また、ヴェールは私にとって喜びであり、誇りでもあった。アッラーの掟に従う喜びであり、アッラーの存在を証言する誇りだった。普通、人は口を開かなければ自分の信仰を告白することができない。ところが、ヴェールを被っていれば口を開かなくてもアッラーを信じますと高らかに証言することができた。また、ヴェールを被った者同士が道ですれ違えば、知らない者同士でも信仰を共有する喜びを分かちあえた。

 そのうちモスクに行く日は家を出るときから家に帰るまでヴェールをつけるようになったのだが、私がヴェールを被り出したのはまったく自発的なことで、誰からの強制もなかった。私が最初に読んだイスラームの入門書もアッラーがそれを強く勧めている、という柔らかい言い回しをしていた。もし初めに、ムスリムになったらヒジャーブの着用は義務である、と命令口調で言われていたら反発していたかもしれない。イスラームはその名の通り「神の掟に服す」ことが基本となっているが、無信仰で生きて来た者、あらゆる権威、あらゆる既製価値に疑問符を投じながら自分のみを信じて生きて来た者にとって、神の権威に無条件で服す、という姿勢はなかなか取りにくいものである。ところが、アルハムドリッラー、私がヒジャーブを被るようになったのも礼拝を5回するようになったのも自然の成り行きだった。自然に心がそう向いていったのだった。

 また、ヴェールを被ることは、私の心は神に向いています、ということを周りの人間に対しても自分自身に対しても呼び起こすことであり、実際、ヴェールを被っていると神と共にいることが意識され、それが自己規制として働いた。警官が制服を着てこそ言動が警官らしくなるのと同じである。

 入信から2週間後、妹の結婚式に出るために一時のつもりで帰国した私はそのまま日本に居着いてしまった。信仰を得た今ではフランス文学の研究を続ける意味を大方無くしてしまっていたし、むしろアラビア語を習うためにアラブ圏に留学したいという気持ちが出てきたためだった。

 日本に帰ってからは欠かさず礼拝するようになった。ヒジャーブも外出時には必ずつけた。幸い、私の入信に関しては家族から特別な反対はなかったし、ヴェールを被って外出するについても、ご近所の手前みっともない、などということは1度も言われなかった。

 ムスリムになって日も浅く、イスラームについて詳しいことを何も知らない私にとって、日本の、しかも地方に住むことは大変な試練だった。私はムスリムとの接触をほとんど完全に絶たれた。まったくの孤立状態だった。それが私の場合は信仰意識をより一層強めるのに役立った。1人だからこそヒジャーブを被り、1人だからこそ礼拝をやって自分のムスリムとしてのアイデンティティーを確認する必要があったのだ。たった1人でもヒジャーブを被っていればアッラーと共にいると感じることができた。

 イスラームでは女性は肌を露出したり体のラインを浮き上がらせる格好を禁じているから、今まで着ていたような半袖や短いスカートは着られなくなった。だいたい、ヒジャーブと洋装は釣り合わなかった。となると、自分で服を作るよりないと思い、洋裁をやっている友人に2週間弟子入りしてパキスタン風の、長いストンとした上着にズボンを作った。もともと人と違うことをすることが好きだった私は自分の格好が人目を引くことは気にならなかった。

 フランスから日本に帰って6か月後、アラブの国に行ってアラビア語とイスラームを学びたい、という気持ちを募らせた私は、とうとう知人を頼ってカイロに渡った。

 知人に紹介されたホームステイ先のエジプト人家庭では誰も英語を解さなかったから、数語のアラビア語しか知らなかった私にはまったくお手上げの環境だった。さらに驚いたことに、私の手を引いて家に招き入れてくれた姉妹は頭の先からつま先まで一分の隙も無く黒い布で身を覆っていた。いまでこそ見慣れ、自分自身も纏う黒装束だが、最初にそれを見たときには少なからずギョッとした。

 フランスにいた時、大きなムスリムの講演会があって、その会場で顔まで真っ黒に覆っている女性を見かけたことがあった。簡単なスカーフを被った女性の間に立ち交じったその姿は異様で、イスラームについてほとんど知識のなかった私は即座に「抑圧」という言葉を思い浮かべた。クルアーンが女性に覆うように求めているのは顔と手以外の体の部分で、顔を隠すのはイスラームとは無関係なアラブの習慣にすぎず、彼女は無知ゆえにその伝統に盲目的に従っているのだと思った。

 カイロで顔を覆った姉妹を見たときに持った印象もそれとあまり変わらないものだった。いくらなんでもやりすぎじゃないの、不自然よ、と言ってやりかった。異性との接触を極力避けようとする様子も、病的なものに見えた。

 カイロに着いた時の私は自分で作ったパキスタン風の服を着ていたのだが、黒の姉妹は、その格好は外を歩くには相応しくない、と言った。クルアーンに従って体のラインの隠れる服を着ているつもりの私はその言葉に不満だったが、郷に入れば郷に従え。好奇心も手伝って、さっそく黒い布を買って自分で同じような服を仕立てた。すその長いドレスとオバQのような腕から腰まですっぽり隠れる長いヒジャーブ(特にこの形をヒマールと呼ぶ)である。埃避けにもいいから顔も隠そうかと思ったが、姉妹はそれはしなくていい、というのでやめた。顔を隠すにはそれなりの宗教上の理由があり、その信じるところに従ってやることであるから、私のように埃避けにいい、などという不純な動機でやるべきものではなかったのだろう。顔を隠している姉妹たちはそれを宗教上の義務と信じていた。私が世話になった姉妹は家でイスラームの勉強会を開いていたが、そこに集まって来る姉妹たちは大抵顔を隠していた。しかし、それでいて隠さない者に隠すことを要求したりはしないのだった。姉が隠しているのに妹は隠していない、という姉妹もいた。すべては本人の自発的な意志にまかされていた。

 私が付き合った姉妹たちはほとんどみな顔を隠していたが、カイロ全体を見れば、顔を隠している者はごく少数で、私の黒いヒマール姿にさえ違和感を覚え、戸惑うエジプト人もいた。ヒマールを着けている姉妹たちは、洋装やカラフルなスカーフを簡単に被っているような一般のエジプト人女性には特別な目で(「あの『姉妹』達」というレッテルつきで)見られていた。バスなどで乗り合わせる男たちもそうした姉妹たちに対しては一種特別な丁寧さをもって遇していた。ヒマールを着けている女性たちの間には「姉妹」としての連帯意識があった。だから、道ですれ違えば、見知らぬ者同士でも挨拶を交わした。彼女らの間では「ムスリムは知っている者同士でも知らない者同士でも挨拶を交わすものです」というハディースを実践しているのだ。つまり、ヒマールをしている女性には、習慣や形式的な宗教心からヒジャーブをしている女性よりも宗教に対しより積極的で自覚的な意識がみられた。

 ムスリムになる前は女性的な格好よりもボーイッシュで動きやすいパンツスタイルを好んだ私だったが、カイロに来て足まで隠れる長いドレスを着るようになると、すっかりそれが気に入ってしまった。気持ちがとても優雅になるのだ。要するにお姫様になったような気分なのだ。それでいて女々しくない。足を大きく開いてもあぐらをかいて座っても足が隠れているから人の視線を気にする必要がなく、ズボンをはいているとき以上にのびのびとくつろぐことができる。それに体に服が密着していないから多少太っても、おなかが出てきても一向に気にならない。

 黒という色も上品で飽きが来なく、さらに汚れを気にする必要がなかったから(エジプトのように土埃だらけの国では特に)具合がよかった。喪服姿の女性がいつにない色気を醸すように、また、黒のイブニングドレスが美を引き立てるように、黒いドレスに黒いヒマールを着けた姉妹たちは本当に眩しいほど美しかった。しかも聖女の清らかさと気品があった。それは、カトリックのシスターとほとんど変わらない格好だった。実際、サウディアラビアに来てからまもなくパリを訪れる機会があったのだが、地下鉄でカトリックのシスターと乗り合わせ、あんまり格好が似ているのでおかしいくらいだった。カトリックのシスターがヴェールを被るのは神に身を捧げた印である。ムスリマの場合もまったく同じである。ムスリムは1人1人が神に身を捧げた聖職者なのである。シスターのヴェールに何も言わない人達がどうしてムスリマのヴェールに「テロ」だの「抑圧」だのと言うのだろうか。

 なにをするにも徹底しないと気の済まない私は、仏教徒になるなら尼寺に、クリスチャンになるなら修道院に入らなければ、と思うようなところがあったから、世捨て人みたいな格好をすることには少しも抵抗がなかった。とはいえ、日本に帰ってからも同じ格好をしろ、と姉妹から言われたときには、とても無理だと答えた。彼女の時代錯誤というか状況無視に実は腹を立てた。イスラームが説いているのは、肌を出さないこと、体の線を隠すことであって、それさえ守られていればどんな格好もかまわないはずだ。国にはそれぞれの服装がある。日本でこんな格好をしたら気違いかと思われる。格好で違和感を与えてしまったら人々はイスラームのことを聞く耳を持たないだろう。そういって私は反論した。

 しかし、慣れとは恐ろしいもので、半年もその格好で暮らすうちに、まあ日本でもこれでいけるかな、という気になってきた。ただ、黒ではいくらなんでも印象が強すぎると思い、帰国前に柄物の服と白いヒマールを仕立てた。

 私の白いヒマールに対する日本人の反応は総じてよく、懸念したような反発や揶揄は一切なかった。宗教者だろうと見当はついてもムスリムとわかる人はいないようで、「尼さんかしらね」という若い女性のヒソヒソ声が耳に入ったりした。また、ある時は、電車で乗り合わせた初老の男性が、「変わったファッションですね」と話しかけてきた。これはファッションではなくイスラームの教えにしたがってこういう格好をしているのです、誘惑に弱い男性に余計な刺激を与えないために女性の魅力を隠すのです、と説明すると、最近の若い女性の挑発的なスタイルに好ましい印象をもっていなかったらしいその男性は大変感心した様子で、おもしろい話を聞かせてもらった、時間があればもっと話を聞かせてもらいたかった、と言い残して降りていった。人々に、なんだろう、と思わせるだけでも意義があるし、イスラームの話をするきっかけにもなる。ヒジャーブはダアワ(布教)の大変有効な武器だった。

 また、非ムスリム国においては、ヒジャーブはムスリムを見分ける目安になるので大変便利だ。ある時、初めてのムスリムの集まりに出掛けた私は、道に不案内なため心細い気持ちでバスを待っていた。すると、ヒジャーブをつけた女性たちがやってくるのに目についた。声をかけると、案の定彼女たちも同じ所に向かおうとしているのだった。それでたちまち打ち解け、一緒に会場に向かった。一見してムスリムとわかることは、だから大切なことだった。実際、預言者ムハンマド(彼に平安あれ)の時代のムスリマがヒジャーブをつけるようになった理由のひとつには、ムスリム女性を非ムスリム、あるいは奴隷女と見分け、保護するためがあった。男性の髭も非ムスリムと区別する目安となったようだ。

 夏の暑い盛りにも長袖を着て出掛ける私に父は同情していたが、夏が暑いことには半袖も長袖も多少の程度の差こそあれ変わりなく、むしろヒジャーブは日よけの役割を果たして具合がよかった。逆に、妹が家の中でショートパンツをはいているのを見てはしたないと思った。女同士ではあるけれど白いももに目のやり所に困った。これはなにも私がムスリムになったせいばかりではなく、以前から私は豊かに盛り上がったバストやミニスカートの太ももを目にするとなにかバツの悪さを覚えたものだった。女性の目にすら戸惑いを与えるのだから男性に与える刺激は察してあまりある。

 顔と手以外を性的誘惑の元となるとして隠すなど、意識過剰だと思うかもしれない。まるで男は女と見れば性的対象としか見ていないようではないかと。しかし、今日問題になっている「セクシャルハラスメント」はいかに男性がそうした刺激に弱いかを如実に語っている。そうした性的嫌がらせを防ぐには男性側にモラルの向上、自制を説いてもあまり効果はないだろう、なるべく男女の接触を避ける、女性は身を隠す、というイスラームの教えに従う以外にとるべき措置はないように思う。大きく開いた胸元、短いスカートが、私をほしかったらどうぞ、というサインになるように、ヒジャーブは私はあなたには禁じられています、という明白なサインなのである。

 カイロから日本に帰って3か月後、サウディアラビアに向かった。今度は単身ではなく夫と一緒だった。サウディアラビアではぜひニカーブ(顔の覆い)をつけようと日本から黒い四角い布を用意して行った。といってもカイロで世話になった姉妹たちのようにニカーブを義務だと思うようになったからではない。

 クルアーンのヒジャーブに関する節「自ら外に表れるもの以外の飾りを見せてはいけない。そして胸にはヴェールを垂らしなさい。」には顔を隠さなければいけないとは明記されていない。ただ、「自ら外に表れるもの」の解釈が学者によって異なり、これを顔と手と解釈する者と、風によってめくれるなどして誤って見えてしまうもののことと解釈する者とで意見が分かれる。後者の方はそうした偶発事を除けば顔も手も隠さなければいけないと主張する。彼らは、預言者(彼に平安あれ)の妻たちに関する「彼女らにものを尋ねるときにはとばりの向こうから尋ねなさい」という別の節を預言者の妻だけでなく女性全般を対象としたものと解釈し、一切男性の目に触れないようにすべきであるとの主張の裏付けとする。一方、顔と手は出してもよいと主張する者は、預言者(彼に平安あれ)が、妻アーイシャの妹が体の線の透けるような格好をしているのを見て、年頃になったらこことここ以外は(と顔と手を示して)隠すようにと言われた、という伝承を根拠にしたり、礼拝時には恥部を隠さなければならないが顔と手は出してもいい、のであるから顔と手は恥部ではない、と結論する。預言者(彼に平安あれ)の時代にすでに顔を隠す女性信者がいたことはハディースから明らかだが、それが義務だったか一部の女性の自発的な行為だったかで意見が分かれるのだ。

 私の推測では、とばりの向こうから話なさいと命じられたのは再婚を禁じられた特別な立場にあった預言者の妻たちだけだったが、女性信者は彼女らを見習って顔を隠すようになっていったのだと思う。女性のチャームポイントはバストだのヒップだのいろいろあるが、いうまでもなく顔はその最も重要なひとつだ。一目ぼれというのも、普通顔を見てするものである。したがって、顔を隠すのが望ましいことは確かだろう。

 ある時、預言者(彼に平安あれ)が娘のファーティマに、「女性にとって最良のことは」と尋ねると、彼女は、「男性を見ず、男性からも見られないことです」と答え、それに対し預言者が、「さすがに私の娘だ」と言ったというハディースがある。このハディースから判断しても、女性はなるべく家に留まり、できるかぎり異性との接触を避けるのが好ましいということがわかる。外出には顔も覆ったほうがいいだろう。ニカーブを着けるということは、外にいながら内に留まる、ということに等しい。

 義務とは思わないが、着けたほうがいいと思うから女性がみな顔を隠しているというサウディアラビアに行ったらぜひ着けてみたいと思っていた。また、着けてみたときにどんな感じがするのかにも興味があった。

 リヤドに行ってみると、外国人が多いせいか、ニカーブを着けていない女性も割合目に付く。ムスリムでない外国人は無造作に黒いアバーヤを羽織り、形ばかりにスカーフを着けているから一目瞭然だが、ムスリムでもニカーブをつける習慣のない国から来た女性では顔を出したままの者が少なくない。しかし、サウディ人女性に関して言えばみな「完全武装」しているようだ。

 外出第1日目にさっそくニカーブを着けてみたが、着け心地は悪くない。以前はニカーブの姉妹を見て息苦しくないかと気になったが、どうやら慣れの問題で、慣れてしまえばどうということもない。それより、自分がなにやら特別な、高貴な存在になったようで気持ちがいい。極端に言えば、盗んだ名画をひとり隠れ見ては悦に入るような優越感の交じった秘密の満足感がある。いいものを持っているのだけれど、お前らは知らないだろう、見せてあげるものか、という感じだ。恰幅のいい夫らしき男性とその後に寄り添うように歩く全身を真っ黒に覆った女性という組み合わせは、一見、抑圧―被抑圧関係、所有―被所有関係を絵に描いたように見えるが、実は女性の方は、これも極端に言うと、下僕を道案内に立てた女主人のような優雅な気持ちでいる。

 最初のうちは目は出していたが、冬服を作るついでに目を覆う薄い布も作った。武装はこれで完了だ。着け心地もこれで完璧なものとなった。もうこれで怖いものなしだ。男ばかりの人込みに立っていてもちっとも居心地の悪さを感じない。まるで自分が透明人間になってしまったかのようだ。口は閉じていれば物を言わないが、目は開いているだけで物を言う。目を出していた時には、偶然人と目が合ってバツの悪いような思いをすることがあったが、目まで隠していれば、他人はいないがごとし、自分の世界に1歩でも立ち入らせる隙がない。サングラスをかけた時の気分が確かこんなだった。

 女は男の所有物だから人目に付かないように覆いを着せつけられている、といった印象は間違ったものだ。女性たちは自分の尊厳を守るために自らを覆っているのだ。彼女らは、自分が他人の視線に所有され、他人の意識の下にオブジェ化されることを強硬に拒むのだ。そんな彼女らにしてみれば、肌を露出し、他人の欲望の玩具におとしめられた今日の西欧の女性こそ憐れむべき存在であった。

 サウディ女性の身を一様に覆う黒い布は、一見没個性化のようにみえるが、その実、個々のアイデンティティーの砦であった。私の美しさは私自身の美しさであって、誰と比較されるものでもない。そして、それは夫とごく身近な関係の者しか知らない秘密の美しさである。一般なら夫婦の秘め事は寝室に限られるものだが、ムスリムの場合、家の全体が夫婦の秘め事の空間となる。他人が入り込めない、覗き見することすらできない私的な空間である。外での異性との接触を断たれた男女にとって、夫は、妻は、それぞれこの世でたったひとりの男性であり女性である。妻は、一身に「女なるもの」を体現し、夫は一身に「男なるもの」を体現する。自分という存在がこの世でたったひとりっきりの存在であることはわかりきったことだが、特に今日の自己疎外の進む資本主義社会においては、ともすればそんな確かなことが実感しにくくなっている。自分の居場所が見いだせないのだ。その点、ひとりっきりの男とひとりっきりの女が出会う家庭の空間は、自分が掛け替えのない存在であることを思い出させてくれる場を作り出しているようだ。

 ヴェールの外から内側を覗き込もうとしてもそこに隠されているものは決して見えては来ない。外からそれを論ずるのと、内からそれを生きるのとでは、まるで見えているものが違うのだ。このすれ違いは、そのままイスラームの理解のすれ違いに通じる。外から眺めればイスラームは牢獄だ。ところが内にいる私たちは、イスラームを知る以前には知らなかったような心の平安と解放感と喜びを味わっている。生まれながらのムスリムならば、外の世界を知らない故にイスラームの描く世界こそ真実で最高だと信じられるのだと言うこともできよう。しかし、私たち改宗ムスリムは、自由と快楽の世界を捨ててイスラームを選んでいる。イスラームが女性を抑圧する宗教だというのが本当ならば、どうして「女性の解放」、「女性の自立」の風に当たったヨーロッパの、アメリカの、そして日本の若い女性たちがこのように続々と入信しよう。

 先入観という曇りメガネをかけ、ヴェールという異物に目を取られておそらく見えていないのだろうけれど、ヴェールをつけたムスリムの女性は本当に美しい。満ち足りて晴れ晴れとし、凛とした落ち着きがある。そこには抑圧による陰りはまるでない。見れども見えず、とクルアーンはアッラーの徴を否定する者たちについて言っているが、このすれ違いを他にどう説明しよう。

(1993年1月)