エジプトにて

 カイロに来てから5か月が過ぎた。私の霊的な飢えは十二分に満たされ、感謝しきれない日々を送っている。以前は何をやっても、それがどうした、だからどうなる、という空しい思いがつきまとったが、今はすべてが意味をもっている。私の行う努力の1つ1つがアッラーの許に記録され、天国での報酬につながるからというのではない。死後のことは今でもよくわからない、わかりたいとも思わない、その問題はアッラーに任せようと思う。そんな遠い先の報酬よりも、私は心のうちから沸き上がる幸福感という形で今すでに現実のものとして報酬を得ている。

 最初にクルアーンを読んだ時私はまるで理解できなかったが、それは翻訳で読んだせいだった。アラビア語を習い始めるや私はたちまちクルアーンの美しさに魅された。自分で読めるようになってさらにその魅力は増した。内容が大事なのはいうまでもないが、その音が言いようもなく美しいのだ。読んでも読んでも読み飽きることがない。心が幸福感に満たされる。クルアーンを聞いて子供が涙を流すというのも不思議はない。

 涙といえば、以前から涙もろい方だったが、イスラームを知って以来、心に着せかけていた鎧がひとつひとつ取れていったせいだろうか、一層感じ易くなった。礼拝していてもなにがどうという訳ではないが、涙が流れて来る。つらいとか、悲しいとかいうのではもちろんない。うれしいというのとも少し違う。ただ言いようのない感動が沸いて来て心が溶けてしまうのだ。私に限ったことではない。金曜日の礼拝では、すばやく涙を拭っている姉妹をよく見掛ける。お祈りしながら涙を流すなどといえば、無信仰の人は、なにやら悩みがあるのだろう、と早合点しそうだが、この混じりけのない涙の意味はイーマーン(信仰)を持った者にしかわからないだろう。

 カイロではエジプト人はもちろん、フランス、スイス、アメリカ、カナダと、様々な国のムスリムと知り合いになった。語学が好きで英語やフランス語を熱心にやった私だが、時には語学が出来てそれでどうなる、と思うことがあった。しかし、今、語学は私にとっては単なるコミュニケーションの道具以上の、重要な役割を果たしている。語学ができるおかげで日本語では少ないイスラーム関係の本をいくらでも読めるし、外国人ムスリムとも心の触れ合う関係を持つことができる。いずれ、できれば、インシャーアッラー、イスラーム関係の本を翻訳したいとも思う。私が、イスラームに出会うまでにやってきたイスラームとはまるで関係のない事柄が、結局はみなイスラームにつながっていたのだ、と思うのはそんな時だ。長い道程だったけれど、至るべき所に至るようずっと導かれていたのだ、と思わずにはいられない。

 聞けばカナダでもアメリカでもムスリム人口は急速に増えているそうだ。都市ではヴェールを被った女性の姿を日常的に見掛けることができるらしい。改宗したアメリカ人の女性でも預言者ムハンマド(彼に平安あれ)の妻に倣って外出には顔をすっかり覆って出掛ける人もいるのだという。世界中アラブ人との接触のあるところではどこでもイスラーム改宗が進んでいるのだ。なんとすばらしいことかと思う一方、それに比べて日本は、と暗い気持ちになる。

 日本のイスラーム後進性は決して気質的なものではない。単に日本に留どまっていてはイスラームを知るチャンスがない、というだけの理由だ。私のイスラームとの出会いはフランスだった。エジプト人と結婚しカイロに住む知り合いの日本人ムスリマはオーストラリアで入信している。日本でイスラーム改宗が立ち遅れているのは、イスラームが日本人になじまないためではない。むしろ日本人には本質的に非常にムスリム的なところがある。きまじめ、勤勉、清潔、善良、正直、自制、謙虚など、日本人の美徳とされるところはそのままムスリムの美徳と共通するものだ。私がムスリムになってラディカルな変化をする必要がなかったのも、以前から知らずしてムスリムだったからだ。

 だから日本人にはもっともっとイスラームを知って欲しいと思う。私がこうしてカイロに学ぶのも、決して私1人のためではない。私の得た知識と喜びを日本に持ち帰り、ひとりでも多くの人と分かち合いたいと思うからだ。しかし、正直言ってカイロの生活になじむにつれ、日本に帰るのがますます難しくなっていくのを感じる。こんなにも大きな幸福感を与えてくれる金曜日の礼拝に出ることができなくなるのだ。姉妹たちと信仰を深めあう機会もなくなる。さらに、日に何度となく繰り返すムスリムの挨拶言葉「アッサラームアライクム(あなた方のうえに平和がありますように)」を言う相手すらいなくなるのだ。それを思うと私の勇気は萎える。

 姉妹たちの中には、こちらで結婚して住みついてしまえばいいではないか、と言ってくれる者もいる。しかし、私は帰らなくては、と思う。日本人にイスラームのことを知ってもらわなくてはならないからだ。私は海外に出てイスラームを知った。日本に留どまっていたらついに出会うことはなかっただろう。私は、以前の私がそうだったように真理を探し求めながら信仰をもちあぐねている人にイスラームを伝えなくてはならないと思う。仮に百歩譲って信仰にはそれぞれの形があるとしよう。ただ、少なくとも宗教はキリスト教と仏教ばかりではなく、イスラームもあるのだと知ってもらわなくてはならない。信仰の選択枝にイスラームを入れてもらわなくてはならない。

 とても1人では帰る勇気がでないから、こちらで結婚相手を見付けて帰りたいと思うのだが(それだけはやめてくれと両親に言われていることだが)、日本などという遠方に来てくれるような犠牲的精神と布教のための情熱を持った人はなかなかいるものではない。先の困難を思うと、いっそ姉妹たちの言うようにこちらに住んでしまおうか、という気になるが、そのつど私が思い直すのは家族のことを思い出すからだ。私を信頼し、やりたいようにやらせてきてくれた両親は私の帰りを待っている。その気持ちに応えなくてはならないと思うからなのはもちろんだが、それ以上に、もし私が戻らなければ彼らがイスラームを知るチャンスは永遠に失われてしまうからだ。家族と天国で再会したいとか、彼らを地獄に送りたくないという気持ちからではない。残念ながら、私の想像力は死より先に進まない。それよりも私の知ったアッラーと共に生きる喜びをどうしても彼らに知ってもらいたいのだ。

 いずれにせよ、すべてはアッラーの意のままである。私に今後どんな道がひらけていくのかわからないがアッラーに任せておけば間違いないだろう。「我らが主よ、1度こうして我らをお導きくださったからには、どうか我らの心を正しい道からそらさないでください。我らに情けをかけ給え。まことに汝は惜しみなく与え給う」(クルアーン第2章イムラーン一家8節)

 明日、私はムスリムになって1年目を迎える。
1992年、1月 カイロにて