日本へ一時帰国

 入信から1週間後、私は妹の結婚式に出るため日本に帰った。この帰国がなかったら、入信は私にこれほど劇的な変化を与えることはなかったかもしれない。礼拝を5回やるつもりもヒジャーブをきちんと被るつもりもすぐにはなかった。少しずつ習って行けばいいと思っていたように思う。ところが日本に帰ってからは、礼拝は欠かさず守り、外出時にはスカーフを被った。ムスリムを誰1人知らない日本でまったく孤立した自分を見いだした時、私はアッラーの同伴の必要を一層強く感じたからだ。

 パリのモスクの勉強会で、ある時ヒジャーブについて問題になったことがあった。ちょうどフランス国内では女学生の教室内でのスカーフ着用の是非を巡って政治家や世論が盛んに議論していた。宗教からの中立を原則とする公立学校内で宗教行為と見なされるヒジャーブの着用は許されるべきではない、というのが大方の意見だった。中立を原則とするからこそそれぞれの信仰の自由を尊重すべきだと思えるが、フランスは失業問題に拍車をかけるアラブ人移住労働者に関しナーヴァスになっていた。

 勉強会に出席したノンムスリムから質問が上がったのだと思う。何故ムスリマは頭を覆わなくていけないのか。勉強会の司会者はすぐに回答せず、問いを他の出席者に投げ掛けた。すると、あるアラブ系の姉妹が即座に答えて言った―「アッラーがそう命じているからです」。生まれながらのムスリムにはそれ以上のことは言えなかったかも知れない。しかし、元からムスリムではなかった者にはもっと他のことが言えた。私は、何故ヒジャーブをするのかを、実感として知っていた。そこで私は手を挙げて言った―「私はムスリムになって間もないけれど、ヒジャーブに3つの利点を見い出しています。まず、ヒジャーブを被っていると、男性の不躾な視線からアッラーに守られているように感じます。第2に、ヒジャーブは自分がムスリムであることを自分自身に思い出させてくれます。ムスリムとして恥ずかしくない行為をしなくてはと自分を励ますことができます。また、第3に、ヒジャーブを被ることで、私はムスリムです、と口を開かなくても証言することが出来ます。黙ったままでも居るだけで絶えずアッラーの存在を人々に示すことができることを私はとてもうれしく思います」。

 日本ではスカーフを被っていても奇妙なファッションだと思われるのがおちだろうが、私はスカーフを被ることで自分のムスリムとしてのアイデンティティーを確認していた。たった1人だけれど1人でないと感じることができた。

 礼拝も欠かさずやった。礼拝を怠ったらたちまちムスリムとしてのアイデンティティーが崩れてしまうような気がしたのだろう。形ばかりの礼拝だったが5回の義務を守ることが私を支えた。以来、礼拝は私の欠かせぬ習慣となった。

 日本に帰った私は、霊的糧に飢えた。足踏みをしてちっとも前に進まないようなもどかしさを覚えた。東京や大阪ならばムスリムの集まりもあり、アラビア語を習う機関もあったが、実家の静岡では全く孤立していた。私はこの地理的ハンディをアッラーに感謝したい。静岡という東京と大阪の中間に位置するところに住んでいたから両方の地域のムスリムと連絡を付けることができたし、静岡という地で孤立したからこそアラブ諸国に行ってアラビア語とイスラームを学びたい、という気持ちを実行に移すまでに膨らませられたと思う。

 ムスリムになったことに関し家族の反応はどうだったか、とよく聞かれる。確かに改宗が原因で家族との関係がほとんど断絶に近い状態になってしまったという話をときどき聞く。アルハムドリッラー、私はそういうつらい思いを一切しなくてすんだ。知に重きをおく両親は感情によって物事を判断するようなことはなかった。また、私を愛し信頼していてくれたから、私が正しいと信じて選んだことに正面だって反対するようなことはなかった。むしろ私の話に耳を傾け、理解しようと努めてくれた。スカーフを被った妙な恰好で外出するのにも、ご近所の手前はずかしい、などということは一言も言わず、黙って許してくれた、本当に有り難いと思う。