イスラームとの出会い

 私のフランス生活を語るにはある人物のことを話さないといけないと思う。私がイスラームを知る直接のきっかけを作ってくれたのも彼だから命の恩人といわなければならないだろう。俗に天才といわれる人達、つまり大きな創造的仕事を成し遂げる人達は、その反動か、私生活においては周囲の人間に破壊的な影響を与えることが少なくないが、彼もそのタイプの人間だった。私は彼の放つエネルギーにくらまされ、振り回された。彼と付き合ったおかげで、私はますます普通の日常から遠ざかった。バイト仲間がおいしいレストランの話やオペラの話や旅行の話や人の噂話に花を咲かせてもまるでついていけなかった。むろん、ついて行きたいとも思わなかった。彼とのことで精神がへとへとに疲れ切って人と話す気すら起こらないようなことも多かった。

 彼はフランス生まれのアルジェリア人だった。彼も「異邦人」だった。生まれた国は自分の国ではなく、自分の国に帰ればよそ者扱いされた。フランス人が大嫌いだったが、それ以上にアラブ人も嫌いだった。彼の唯一の救いはイスラームだった。アッラーのこと、本当のムスリムのことを話すとき、彼の口調は変わった。宗教教育をほとんど受けていない彼は礼拝の仕方もろくに知らず、ムスリムと呼ぶにはほど遠い生活をしていたが、その信仰心は驚くほど強かった。

 私は、彼のそうしたほとんど盲目的な、一塵の迷いもない堅い信仰に触れるたび、いらだたしさと妬ましさの交じった複雑な感情を覚えたものだ。私がこんなにも求め、こんなにも立ち入りあぐねている領域に、彼は一切の知を捨て、易々と安んじているのだ。知が信仰の妨げになっているのだろうか。

 様々な宗教に興味を持ち、いろいろと本を読んできた私だが、イスラームについて知ってみようという気を起こしたことはついぞなかった。イスラームがあまりに遠い存在だったからだろう。何も知らないままに漠然とした偏見を抱いていたのだと思う。単純な精神をもった人々の原始的な偶像崇拝的な宗教だと思っていた。豚肉と酒が禁じられた宗教、アッラーという名の神が宿るメッカの神殿に向かって1日5回礼拝する宗教、神のためと称して行われる殺戮。宗教として研究してみるに値するとはとても思えなかった。

 知が信仰の妨げになっていようといまいと、私にはそれよりほかに宗教に接近する術がなかった。友人の盲信にいらだった私は、ともかくイスラームを知ってみようと決め、フランス語訳のクルアーンを買った。友人の話では、意味の分からない子供でもクルアーンの朗読を聞くと美しさに打たれ涙を流すということだった。

 最初に本を開いた時には、その異質さに戸惑った。どのページを開いてみても「アッラーを信じよ、さもなければ地獄行きだぞ」という威しの言葉ばかりではないか。イエスの愛を説く聖書や悟りの静寂を称える仏教から宗教のイメージを作り上げていた私には、クルアーンはまるで異質だった。なんという攻撃的な宗教だろうと思った。私が神を求めるのは、天国に行きたいからでも地獄が怖いからでもなかった。真理を求めているだけのことであって、脅かされたからといって信じる訳にはいかなかった。信仰と善行の褒美として繰り返し描かれる天国も、せんせんと流れる小川、食べ放題のおいしい果物、そして清らかな乙女のはべる寝台などと、描写があまりに単純素朴に思えた。

 クルアーンと同時に買い求めたもう1冊の本、イスラームの道徳について書かれた本(その当時はムスリムがクルアーンの次に大切にし、生活の規範とする預言者ムハンマドの言行録「ハディース」というものがあるとは全く知らなかった。買った本はそのハディースの抜粋だったのだと思う)の方を読んでみてほっとした。そちらのほうには共感を呼ぶものがたくさんあった。どの宗教も一様に描く謙虚で自制的で清らかな人間の自然な姿がそこにも見いだされた。クルアーンのほうは、日をおいて何度か手にとってみるのだが、どうにもはしにも棒にもかからず、数ページより先には読み進むことが出来なかった。

 自力で理解することをあきらめ、誰かに教えを乞おうときめたが、周囲に知ったムスリムといえば、何も知らない友人だけだった。モスクに行ってみよう、そう思い付いたのが1年前の12月の最初の日曜日のことだ。
 パリのモスクは、その横を通るバスに何度か乗ったことがあり、場所は知っていた。すらりとした塔の聳え立つ建物だ。人の出入りする正門らしき門が目に留まったが1度はそのまま前を通り越し、周囲を少し歩いてから2度目に意を決して門をくぐった。イスラームという宗教のことをまるで知らず、それを信仰する民族と接したこともなかった私にとっては、本当に未知との遭遇だった。

 門をくぐってはみたものの、中は広く、どこに行って誰にどう尋ねたらいいのか見当がつかなかった。少し奥にいくと小さな書店があったから、ままよ、とそこの店番に声を掛けた―「信仰を持てるように手助けしてくれる人を探しているのですが」。私の声が小さかったのか、問いが唐突だったせいかすぐにはわかってもらえず、もう1度同じ言葉を繰り返さなければならなかった。やがて私の意向を理解した店番は、今ちょうど女性の勉強会が終わったところだから図書室にいけばまだ誰かいるだろう、とそこまで案内してくれた。

 図書室にいた姉妹達は、私が意向を伝えるや暖かく、ごく自然に私を取り巻き歓迎の意を示してくれた。ヒジャーブを被ったムスリムを間近に見るのはこれが初めてだったが、意外なことに特別違和感はなかった。私は少し不思議な気持ちがした。以前クリスチャンと親しくしていたころには、その人達がとてもいい人たちなのに一緒にいると「人種の違い」とでもいうような、羊の群れに自分だけ羊の皮を被った狼がもぐりこんでいるような説明のつかない場違い感が付きまとったからだ。

 ヒジャーブを被ったムスリマたちは、近代文化による啓蒙を頑なに拒み伝統的女性観を盲目的に引き継いでいる、といった先入観が遠くから描くムスリマ像とはまったく異なり、聡明で、生き生きとし、またなにより自然だった。

 日曜日の勉強会で発表する女性が、水曜日には別のモスクで子供達にアラビア語を教えている、そこに来てくれたらイスラームを紹介する本や資料を用意しておくから、というので水曜日を待ち遠しく待った。もちろん日曜日の勉強会には出ることに決めていた。

 水曜日に渡してもらった本を読み始めるや、私はそれまで抱いていたイスラーム観がまったく間違っていたことに気付いた。攻撃的な宗教、と思ったのも間違いだった。アッラーは他のどんな宗教が描く神以上に慈悲の神だった。クルアーンの各章の冒頭に書かれた「ビスミッラーヒッラフマニッラヒーム(慈悲あまねく、慈悲深きアッラーの名において)」という言葉はアッラーが怒る神、罰する神である以上に慈悲の神であることを示していた。また、信仰を強制してはならない、とも言っている。排他的と思ったのも同じように間違いだった。キリスト教徒が示して来た排他性に比べたら、イスラームは信じがたいような柔軟性、寛容性をもって他の一神教徒に接している。

 イスラームでは仏教やキリスト教のように聖職者と平信徒を分けず、信者は普通の人間としての生活を送りながら、かつ神に身を捧げた、神を中心とした生活を送ることができることも気に入った。それこそ正しい信仰の在り方だと思った。世を捨て、肉の喜びを切り捨て、日常の義務を放棄しなければ信仰を完成させることができないという考えには常々納得いかないものがあったからだ。現世を否定し、来世にのみ望みを託して生きる生き方は明らかに間違っていた。また、肉体を卑しめ精神(魂)のみを問題にするのもおかしかった。妙に徹底主義なところのある私だから、出家すること、あるいは修道院にはいることが信仰の最高の形だといわれたら、俗世に留どまったままの中途半端な信仰では満足できなかっただろう。禅やヨガに関しても、世を捨て長い厳しい修行をした末でなければ得られない真理を本当に真理と呼べるものだろうか、と疑問だった。それに比べてイスラームは、霊と肉が一致し、地に足がついた、すべての人に開かれた宗教だった。

 教会や牧師や坊主もいらず、儀式も道具もいらず祈りを通して直接一対一で神と接することができるというのも個人主義的な私の気に入った。アッラーの前では誰もが肩書を捨て平等だった。信仰の深さ、それを善行という形で還元する度合いが人間の価値を決める唯一の基準だった。我が身の犯した罪を贖えるのも教会でも神父でも儀式でもなく、ただ自分自身の祈りと善行だった。すべてはアッラーの意のまま、すべてはアッラーの慈悲によるものとアッラーにより頼むのが「イスラーム」、つまり絶対帰依だが、その一方で自力の要素も欠かせなかった。キリスト教を勉強していたころは、「原罪」という考えが頭でも感覚でもどうしても理解出来なかったが、イスラームは、人は誰のでもない自分の罪のみを背負えばいいのだよ、ときれいさっぱり身の覚えのない因縁だとか原罪を拭い去ってくれた。

 イスラームが仏教やタオイズム的な自然観をもっているのも驚きだった。この世のすべてはアッラーを称えている、ただ、人間のみがその自然を外れ、アッラーの恩を忘れ、我と我が身に罪を犯している。イスラームは人間に人間が本来あるべき姿、本来あるべき場所を示していた。東洋的な自然観をもった私には西洋的人間中心主義の影響を受けたキリスト教よりはイスラームの方が感覚的にずっと親しめた。ムスリムは月の満ち欠けに従って月を数え(きのう新月が現れ、イスラーム歴第7月ラジャブ月が始まった。夜空にかかった切ったような薄い月をこれほど神秘的で期待に満ちた思いで見上げたことはなかった。あと2か月すれば断食月のラマダーンだ。いよいよ明日から断食かという日、人々は一種の興奮をもって夜空を見上げるのだそうだ、なんとロマンチックな話だろう)、日の出日の入りの時間に従って礼拝を行う。流動的に、自然に従って生きていた。

 本を読み進めるにつれヴェールが1枚1枚剥がされ、物事がずんずんはっきり見えて行くような新鮮なセンセイションがあった。うれしくてどきどきした。イスラームは単純明快だった。複雑な理論などまるでなかった。アダムの原罪もイエスの贖罪も三位一体もなく、ブッダの法身もアラヤ識も輪廻も理解する必要はなかった。すべてを創造し、すべてを司る神が存在する。その神を信じ感謝せよ。善行は報われ悪行は罰せられる。ただそれだけだった。

 初めてモスクを訪れてから1週間後の日曜日、勉強会が終わると、姉妹たちは礼拝のため洗面室に向かった。礼拝の前には水で顔や手を清めなくてはならないからだ。それから礼拝所に入っていった。私は礼拝所の入り口で私の世話をしてくれる姉妹、名前をナシマといったが、ナシマが出て来るのを待った。私を見掛けた見知らぬ姉妹が、私にスカーフを差し出し(礼拝の際は頭を覆わなくてはならないので)中に招いてくれたが、私はその誘いを丁寧に断った。私にはまだ礼拝所に入る資格がない、と感じたからだ。中は見えなかったが私は礼拝所の神聖さに気圧されていた。でも来週は入ってみようと思った。

 だから次の水曜日が来ると、子供達のアラビア語の授業の間に礼拝しようとするナシマに私も一緒にしたいと申し出た。スカーフも家からちゃんと用意して来ていた。額を地面につける最も無防備で、最もへりくだった姿勢を私もしてみた。抵抗はそれほどなかった。特別な印象もなかった。立ったり座ったりする隣のナシマの動きについて行くことで、実のところ精一杯だった。

 次の日曜日の勉強会にはスカーフを付けて出た。図書室に行く前に洗面室によってウドゥー(洗面)もした。誰に言われたのでもなく、ただ周りの姉妹たちとモスクに対する敬意の気持ちからそんなふうにしたかったのだ。勉強会の後はみなについて礼拝をした。そしてそのままスカーフを被ったままでモスクの外に出た。幸福な気持ちに水をさすようで外す気になれなかったのだ。寒い時期だったから防寒にもちょうどよかった。周囲の人間が見ても防寒のためのスカーフと思っただろう。

 その日からモスクに行く日は家を出るときから家に帰るまでスカーフをつけるようになった。被っていると自分が清らかになったような気がし、また不思議な安らぎがあった。季節が冬だったことをアッラーに感謝しなくてはならない。冬だったからそれ程人目をひくこともなく、防寒も兼ねたから自分でもそれほど抵抗を覚えることもなくすんだ。外国人ということで時に周囲のあからさまな好奇の目にさらされているような居心地の悪さを覚えることがあったが、スカーフを被っているとそうした視線から身が守られているような気がした。

 勉強会での話も、読む本も、乾き切っていた土が水を吸いこむ勢いで私の心にしみこんだ。知的な喜びがこれほど霊的な喜びに結び付いていたことはかつてなかった。「霊的な糧を得た」としかいいようのない満足感があった。以前、エホバの証人の集会に定期的にでていた時期があったが、義務感から出ていただけで、このように心のうちに泉を得たような沸き上がる思いを覚えたことはなかった。イスラームについて知れば知るほどもっと知りたいという気持ちが加速した。

 真理を見付けつつある、という確かな思いがあった。それでも、その時点ではまだ入信は考えもつかないことだった。3か月、あるいは半年後には入信するかもしれないと漠然と感じていただけで、とりあえずは、もっともっと知りたいという気持ちがあるだけだった。だから、次の日曜日にナシマが入信のことを切り出したときには驚いた。いくらなんでも早すぎると思った。イスラームを知り始めてまだ数週間しかたっていないではないか。確かに私はイスラームを真理と認めつつあったけれど、入信する前にもっと知らなくてはならない。長い間探し求めてきたもの、長い間見付けあぐねてきたものにそう簡単に結論をつけてしまうわけにはいかない、と思った。入信と同時に課せられて来る様々な義務を引き受ける自信もなかった。私は、後戻りできない領域への扉が目の前に開くのを感じ、思わず尻込みをした。まだ早いと思った。

 思いがけない入信の提案に私は戸惑ったが、それから2、3日後には入信しようと心が決まっていた。深く考えたわけではない、ただムスリムになりたいという気持ちが自然に沸いて来たのだ。1日5回の礼拝が果たせるか、ヒジャーブを着けることを受け入れられるか、先のことはよくわからなかった。ただムスリムになりたいという気持ちがすべてに勝った。1月の下旬には妹の結婚式のため1月程日本に帰る予定だったから、そのまえにきちんとムスリムになっておきたかった(今から思うとこの一時帰国もアッラーの取り計らいだったのだと思えてならない。それがなかったら入信を急がなかったかもしれないし、第一、一時帰国のつもりが結局フランスに戻ることを取りやめ、こうしてエジプトに来るようなことはなかっただろう、アルハムドリッラー)。入信の意志を伝えると、ナシマは、私が先入観を改め本当のイスラームに目を開く直接のきっかけを与えてくれた本「イスラーム入門(イニシエーション)」(日本語版では「イスラーム概説」)の著者ハミダッラー師にシャハーダ(信仰告白)に立ち会ってもらったらどうかと提案してくれた。願ってもない光栄だった。

 イスラームの入信式はいたって簡単だ。2人以上のムスリムの証人の前に「アッラー以外に神はない、ムハンマドはアッラーの使徒である」と証言すれば、それでムスリムとなる。入信にあたりムスリム名を選ぶ習わしになっているが、私にはある姉妹がすでに「Khaulaハウラ」という名を見付けてくれていた。私の本名「Kaoliカオリ」に音が近いからだ。姉妹の説明では、勇敢な女性で聖戦で男勝りの活躍をしたムスリマの名ということだった。由来も気にいったし、本名に近いということでそう抵抗もなく新しい名を受け入れることができた、アルハムドリッラー。あとはムスリムに課せられた義務、禁止されたこと(利子など)に関する簡単な説明と、家に帰ったら全身を洗い清めるようにとの指示を受けておしまいだった。

 私がイスラームに出会ってついに信仰を得ることができたのは、知れば知るほどすべてがあるべき場所に戻って行くような爽快感があったからだ。いままで何度試してもどうしても並び揃わなかったジグソーパズルがみごとにぴったりと、それぞれがそれぞれの場所にはまったという感じだった。イスラームにおいては知は信仰の支えだった。知れば知るほど心が開いて行った。それともう1つ、イスラームにおいて私が信仰を得る助けとなったのは、礼拝だった。礼拝は、私がそれまでどうしても果たせなかった信仰への最後の1歩、「信じること」を可能にしてくれた。
アラビア語の学校で若いスイス人のムスリマと知り合いになったが、アラビア語を習い始めたことがきっかけでイスラームを知るようになった彼女は、以前から霊的感性が強く、正式な礼拝の仕方も知らないままに試しにスジュード(額を地面につけた礼拝のポーズ)をしてみたところ、あまりの強いセンセイションにしばらく頭を上げることができなかった、という。神の存在をありありと感じたのだそうだ。私の場合そんな劇的な体験はなかったが、いつのころからだろうか、スジュードをするとき、神の存在を感じるようになっていた。神秘的な体験としてではなく、普通の感覚として神を感じることができた。

 それまでの私には宗教に親しみながらも「信じる」ということがどういうことなのかどうしても理解出来なかった。ところが、イスラーム式の礼拝によってそれがどういうことなのかよくわかった。信じる、というのはあるかないか分からないものに関し、ある、というほうに自分の一切をかたに賭ける、ということではない。信じるというのは、心が「ある」とはっきり知ることだ。一旦神の存在に目が開かれてみれば、この世はアッラーの印に満ち満ちているではないか。

 ユダヤ系のオーストリア人で、ジャーナリストとして中東に暮らすうちにイスラームに触れムスリムとなり、その後パキスタン建国に一役を買ったムハンマド・アサドが著書「メッカへの道」で、ハッジ(巡礼)の際にカアバの周囲を7周する行為を衛星が惑星の回りを巡る動きにたとえ、それこそ人間の営みの意味するところだ、と書いていたが、そのとおりだった。すべてはアッラーを中心に回っていた。アッラーという中心を得た今、これまでその存在を知らずに生きて来られたことが不思議でならない。

 私は、私のイスラーム信仰を私の親しんだ哲学からの「転向」とはとらえていない。むしろそれはその延長線上にあったように思う。そもそもサルトルにしろカミュにしろニーチェにしろ、無神論者の彼らが問題にしているのは神にほかならない、というのが以前からの私の印象だった。私には彼らの著書に神の姿が透けて見えた。ただ、彼らはキリスト教の不自然を受け入れるには明晰で純粋すぎた。彼らが神のいない世界で到達しようと絶望的な努力をしていたある域に、私は信仰を得た今、やすやすと至ることができそうな気がする。彼らが描く英雄と私が目指す英雄は、それが信仰に支えられていることを別にすればまったく同一だった。

 「異邦人」から出発した私の真理を求める旅はイスラームに出会って終結した。イスラームとの出会いは確かに私の生き方を変えてしまったが、それはある新たな領域に踏み込んだのではなかった。イスラームとの遭遇は未知との遭遇ではなく、むしろ「帰郷」だった。私がそこに見いだしたものは見ればどれもみな見覚えのあるもの、忘れてはいたけれど実は以前からずっとよく知っていたものばかりではないか。すべてがしっくりと身になじんだ。そして、いままでいかに不自然な生き方をしていたかがよくわかった。