ズル・ヒッジャ10日

 午前3時すぎになってそろそろ人が起き出す気配がし始めたので私もバスを降り、隅でミネラルウォーターのボトルの水でウドゥーをした。ファジュルの礼拝後、まだ暗いうちにミナーに向けてバスで出発する。例によって渋滞でほんの数キロの距離なのになかなか着かない。うとうとし、ふと目が覚めて窓の外を覗くと、いつのまにかすっかり明るくなっていて、無数の白いテントを白いもやが包み込んだような朝ぼらけだった。そして道は無数の白いイフラームの人で一杯だった。本当にどこから湧いて出たかと思われるほど道一杯に白い男たちが溢れていた。まさに復活の日を思わせる光景である。復活の日にこうして男たちがぞくぞくとアッラーの招きに応じて地から起き上がってくるのだろう。驚いたことに既にもう頭を丸めてしまった者もいた。

 アッラーフアクバル、アッラーフアクバル・・・とイード(祭り)を祝う声がスピーカーから聞こえて来た。その声がテントの山々を越え、あたり一帯に広がる。今頃、町ではイードの礼拝が行われているはずだ。今日になって初めて気が付いたのだが、ハッジにいる者はイードの礼拝をしない。人々が礼拝を上げているまさにそのころ、こうしてハーッジュ(ハッジ完了者)たちはミナーへの道を戻って行くのである。アッラーフアクバル、というアッラーを称える声がまるで私たちのハッジの成功を祝福するものであるかのように聞こえた。
 ようやく8時ころに宿舎に到着。へとへとで転がるようにマットに横になったところに夫から電話。今からラムユに行くという。

 ラムユとはシャイターンに見立てた柱に向かって石を投げる行事で、これも自分の息子を犠牲に捧げようとするイブラーヒームが、神がそんなことを命ぜられるはずがないだろうと彼の耳元に囁いた悪魔を払いのけるために石を投げた故事にちなんだものである。

 出掛けてみると、たいへんな人の波。左方向に向かう波があるので、それが今日の投石場アカバに向かう人達かと思い、それについて行ったら逆方向に向かっていることがわかり、Uターンし、また別の人の波に乗って進む。いよいよ人込みが激しくなり、どうやらアカバが近いらしいと思う間もなくとんでもない人圧の波に飲まれ、靴を踏まれて両方ともかかとが脱げた。無数の脱ぎ捨てられた草履が足に絡む。ここで転んだら踏み殺しにされるだろうと急に身の危険を覚えたが、引き返そうにも後ろからずんずん人が押してくる。途方にくれ、夫の背中に必死にしがみついて踏み堪えているうち、ムズダリファの1夜で疲れ切っていたせいもあって気力がつき、思わず泣き出してしまった。泣くのとしがみつくので精一杯でもう投石どころではなく、夫に私の分も投げてもらうと、やっとの思いで外に抜け出した。見ると夫の新品の草履の片方が誰かの薄汚れた草履に入れ替わっていた。

 石投げ場の近くではあちこちで人が髪を剃っていた。私たちも宿舎の近くの人気の少ないところに行き、用意して来たヒゲソリ用のかみそりで夫の頭を剃り始めた。すでに5ミリぐらいに短く切り揃えてあるのに、カミソリが滑ってちっとも剃れない。すでに頭を丸めた人が通りがかりに見かねて手を貸してくれたがうまくいかず、結局石投げ場の方に戻って一枚刃のカミソリを持っていた人に剃ってもらった。私は三つ編みの先を2センチほど切り落とした。

 宿舎に戻ると、ラムユはしたか、と同じ班のお年寄りに声を掛けられた。行ったが大変な人で怖くなって石を投げるどころではなかった、と言うと、そのお年寄りが、私はあんたをアカバで見かけた、私はちゃんと投げて来た、と言うから驚いた。しかし、アカバが危険なことは間違いなく、実際死者が出たらしいという話を後から聞いた。

 ともかくイフラームで行う行事はすべて終了した。本来ならラムユの後には犠牲の羊を捧げる儀式が残っているが、近年は犠牲の羊用のクーポン(1人340リヤル=約1万2千円)を買えば、それでプロが代わりにまとめて屠殺し、肉を貧しい人に配ってくれるようになっていた。肉はマッカの住民に優先的に配られることになっているが、最近では冷凍して貧しい国にも送っているという話である。

 宿舎に戻り、シャワーを浴びて汗を流し、昼まで眠った。イフラームをといた後、宿舎の雰囲気は急に和らぎ、華やかになった。シャワーを浴び、服を着替え、なかには薄化粧をしている者もいる。やっと緊張が解けたせいか、あるいはハッジを全うした同胞意識が生まれたせいか、私にも気軽に話しかけてくるようになった。

 みな、近くの出店に出掛けては、家族へのみやげを山ほど買って戻って来た。2リヤルの金ぴかの首飾りだとか15リヤルの服だとか。高いツアーに参加するくらいだから金持ちだろうのに、よくもそんな安っぽいものを買うものだと不思議だが、買って来たものをうれしそうに周囲の者に見せている。