ズル・ヒッジャ9日

 いよいよハッジのクライマックスともいうべきアラファの日だ。アラファの逗留をし損ねた者はハッジ全体が無効となってしまう。去年は日没までにアラファに到着できなかった人が何万人も出た、という話を聞いていたので気が気でない。9時にバスでアラファに向かう。ミナーからはほんの数キロの距離だが、渋滞のため1時間以上かかる。テントの入り口でバスを降り、そのまま男女に分かれてテントに入る。ナミラ・モスクに行ったり、ラフマ山に登ったりする者もいるが、迷子になってはいけないのでテントから一歩も出ずにドゥアーをして過ごす。アラファの全体像はよくわからないが、ただの広い平地なのだろう。

 12時半にナミラ・モスクのフトバ(説教)がラジオで中継され、それがテントに流される。その後、ズフルとアスルの午後の2つの礼拝をまとめて2ラクアずつ行う。カプサの昼食がでる。3時過になると横になって昼寝する者も出始める。「アラファの日ほど多くのしもべを火獄から救い出す日はない」というハディースが示す通り、アラファの日にはアッラーの慈悲が地上に最大限注がれ、アッラーに祈る者の祈りは聞き届けられるから、日没までは一刻足りとも無駄にはできない。放送でも、この貴重な時間を無駄にしてはならないと注意がなされる。その後、放送がずっと説教を流すので集中してドゥアーもできず、仕方なくテントの外に出てみると、あちこちの日陰にキブラ(カアバのある方向)を向いて座り、祈り、涙する人達がいた。私もさっそく適当な場所を見つけ、ドゥアーを始めた。ちょうど西がキブラの方角だったが、日は既に傾き、日差しも弱くなっていた。ムスリムなってから出会った1人1人のことを思い出し、それぞれの人のために祈った。これからも私にアッラーの導きがあり、日本にイスラームを伝えるために精一杯のことができますようにとも祈った。涙が後から後から流れた。日が沈むにつれアッラーも遠のいて行くようでなんだか心細い気持ちがした。

 日没近く、トイレに行こうと思ったら断水していた。幸い私は小さなミネラルウォーターのボトルを持って来ていたので、それで間に合わせる。ムスリムにとって水は、飲むだけでなく礼拝毎のウドゥーのためにも欠かせないので貴重である。

 日没後、バスで夜の逗留地ムスダリファに向かう。バスに乗り込んでからも渋滞でなかなか発車できないので、覚えているクルアーンの節を思い出しながらイライラしないように努める。ムスダリファまではほんの数キロの距離で、途中、歩いて向かう人をたくさんに見かけた。8時過ぎに到着したムスダリファは、ただの広いパーキングエリアのようなところ。バスは到着後、男性を降ろし、その後しばらく女性を乗せたまま小刻みに前進とバックを繰り返すので、なにをしているのかと思えば、6台のバスで囲いを作り、女性の寝るスペースを作っているのだった。ミナーの宿舎もアラファのテントもしっかりしたものだったから、1夜を過ごすムスダリファにもそれなりの設備が整えられているのだろうと期待していたら、ムスダリファにはみごとになにもなく、配られたマットを地面に敷いて寝るだけだった。

 バスから降りるとへとへとで、先に降りた女性たちがすでにマットを取って自分のスペースを確保していたが、私はマットを探す元気もなく、空いていた隅の空間に崩れるようにしゃがみこんだ。本当に疲れ果て、泣きたい気分だった。太陽熱を含んだアスファルトの地面は熱く、そのうえエンジンを止めたばかりの熱いバスに囲まれ、風も通わない。アラファを発ってからずっと水無しなので、喉はからからに乾ききっている。ともかく、マグリブとイシャーの礼拝を手短に済まし、そのままぼんやりと座っている。

 しばらくすると、私のいるすぐ近くに氷水のタンクが運ばれて来たので飛びつくようにして水を飲む。やがて夜食の菓子パンが配られたが、食欲はなく、おなかの調子が悪く、トイレは少なく、列を作らねばならないという話なのでやめておく。ただ、トイレが近くなるから我慢した方がいいとわかりつつも無性に喉が渇き、氷水を繰り返し飲む。よく冷えていて生き返る心地がする。夜食後、多くの人が横になって休み始めたが、疲れが収まった私は眠気もないので、車座になってクルアーンを読み始めたグループに参加する。

 夜半過ぎ、トイレに行くという人がいたので、一緒に行くことにする。カーテンの外に出てみると、本当に何もないパーキングのようなところで、みなごろ寝している。トイレの帰り、明日の投石用の小石を拾っている人を見かけた。一瞬、乞食が落ちている小銭でも拾っているのかと思った。実際、かがみこんできょろきょろと地面を見回しながら70個近くの小石を拾う様は惨めで、こうして石を拾うことも身を低くすることを私たちに体で学ばせるためのアッラーの計画ではないかとふと思う。

 バスの囲いに戻ると、先程までクルアーンを読んでいたグループもみな横になっていた。私は眠るとまたウドゥーするのが面倒だし、第一横になるスペースもほとんど残っていなかったのでそのまま起きていようと思い、まだ寝ていなかった姉妹たちと英語とアラビア語でおしゃべりを続けた。しかし、おしゃべりが飽いたころになってもまだ夜は明けそうになかったので、バスの中に入って少し眠ることにした。エヤコンつきのバスで窓が開かないので暑い。