ズル・ヒッジャ6日

 ズル・ヒッジャ6日。全身を洗い清めてからハッジ開始の礼拝を捧げ、家を出た。普段は黒のヒジャーブをしている私だが、黒では日差しを受けて暑いから、という知り合いのアドヴァイスに従って白のヒジャーブをつけた。普段、外出時には顔も布で覆っているが、今日は顔は出したままだ。ハッジは全体が大きな礼拝のようなものだから顔を隠すことは原則的には禁じられているのだ。

 夫のほうは上下2枚のバスタオルのような白衣を纏うことでイフラームに入った。イフラームとはハラーム(禁止された)と語源を同じにする語で、禁忌の状態にあることを意味する。イフラームの状態では男性は縫い目のあるものの着用を一切禁じられている。下着も着けない。足はサンダル履きで、頭も剥き出しにしなければならない。己がいかに哀れな存在であるかを確認し、またそれをアッラーに訴え慈悲を乞うための装束と言えよう。イフラームにある者は、髪を梳いてはならず、爪を切ってもならない。性行為は禁じられ、さらに殺生が禁じられる。サソリのような毒虫を殺すことは許されるが、木の枝を折ることすら禁止される。白いイフラームは死装束を想起させるものであり、それをまとうことによって日常と一線を画する意味もあるに違いない。およそ聖と俗を分離しないイスラームにおいて、イフラームとは俗を切り捨て、神事に専念するほとんど唯一の時といえよう。イフラームに入った後は、もうなるべく無駄口は利かず、暇があれば「ラッバイカッラーフンマラッバイカ・・・(アッラーよ、私はここにこうしてあなたの許に侍ります)」と唱え続ける。

 午後3時、私たちのツアーの集合場所となっているリヤード空港のロビーに行ってみると、男性はもちろんみな白衣に身を包んでいたが、女性たちはいつもと同じ真っ黒で、意外なことに顔も隠していた。顔を出しているのは私と老人ひとりとメイド風のアジア系の女性のみだ。じっと動かぬ真っ黒な塊がロビー一帯の椅子を占めているので、一瞬すべて空席であるかのような錯覚に捕らわれる。

 行き先のジェッダ空港にはハッジ専用のターミナルがあるらしい。何か月か前にウムラ(小巡礼)をした際にハッジのコースをタクシーで見て回ったが、1年に1度の行事のためだけにだだっ広い道路が引かれ、巨大なモスクが建てられているのを見て、このような無駄使いができるのも石油があるからこそ、また土地がかぎりなくあるからこそ、と感心したものだが、ハッジに来て改めてアッラーの取り計らいの妙を思い知らさせられた。なぜカアバはアラブ半島にあってクルアーンはアラブ人に下されたのか、なぜ日本でなかったのか、という問いを耳にしたことがあるが、日本にカアバがあったらとんでもないことになっていただろう。今年ハッジに訪れた者はサウジ国内から約100万、国外から約100万、合計200万人に上った。とても日本ではこれだけのハッジ客を一同に収容できるスペースはなかっただろうし、第一物価が高すぎてとても第3世界からは来れないだろう。また、日本の冬、あるいは梅雨の時期にハッジが重なったら大変なことだろう。人が集まるところで一番問題になるのはトイレだが、空気が乾燥しているせいか一向に臭わないのも日本では考えられない話だ。すべてが計算されている、と思わずにはいられない。

 ジェッダからマッカ近郊のミナーの宿舎にバスで向かう。知り合いから去年2000リヤルのツアーでハッジを行い死ぬ思いをしたと聞いた夫は、大いに奮発して5000リヤル(約16万円)のツアーを予約していた。約800人のツアーで、ほとんどがサウディ人だが、かなり裕福な人達に違いない。ミナーに着いてみるといたるところに、建てられる限り一杯に仮設テントが建っていたが、私たちの宿舎はちゃんとした建物で、クーラーもついていた。トイレも広くて清潔である。食事の心配もしなくていい。冷たい水もジュースも飲み放題である。背もたれによって仕切られた空間に薄いマットとシーツがずらっと並び、それぞれ体を伸ばして寝るだけのスペースが割り当てられた。外の仮設テントの人達に比べたら極楽の境遇である。宿舎は男女で分かれていて、連絡のやり取りのために電話が設置されている。また、面会にはマイクで呼び出しがなされる。

 ミナーの宿舎に着いた時点ですでに夜の10時を回っていたが、荷物を解いて一息ついた後、再びバスに乗ってマッカの聖モスクに向かった。ミナーからマッカまでは5キロ程度の道程だが、渋滞していたうえ道に迷った様子で1時間近くかかった。そもそもマッカは無数の小山の間をぬってできた町で、坂が多く、道は入り組んでいる。

 バスから降ろされた所からはモスクが見えなかったが、通りをひとつ折れると、夜空に照明で照らし出されたミナレットがいきなり目の前に迫った。大理石造りの女性的なとても美しいモスクである。モスク前の広場は雑魚寝する巡礼者で一杯だった。ともかくとんでもない数の人である。そうした人の足元、枕元をぬいながらモスクに入る。

 黒い立方形の神の館カアバのある中心には天井はなく、見上げれば星空が見える。煌々と明るいモスクの内部と、吸い込まれるように暗く、広い天空のコントラストが幻想的である。

 黒石を起点にしてカアバの回りを7周回り始める。日々の礼拝の度にそちらの方向を向き、思いを馳せたそのカアバの前に今まさに自分は立っているのだ、という感慨はなく、いよいよハッジの始まりだ、という意気込みもなく、ただ人の多さに圧倒され、物珍しさに気を取られる。

 サウディ人女性は普段通りの真っ黒だが、外国からのムスリマはやはり圧倒的に白が多い。白ばかりでは見分けがつかなくなるから、頭のてっぺんに花型のリボンをつけたり、大きな名札を縫いつけ、一目で遠くからでもグループの人間を見分けられるよう工夫している集団が多い。赤ん坊を肩に乗せたり、背中に布でくくりつけたアフリカ人女性もいる。ドゥアー(祈り)の本を手に掲げた男が読み上げる外国人訛りのアラビア語が耳に入る。声を揃えてドゥアーを読む集団が通り過ぎる。時々、足の悪い人を運んだ輿が通る。

 ただただ人に揉まれながら歩く。ばかばかしいほどのけなげさに涙が出そうだ。どんな肩書がある者も、普段はファーストクラスで空を飛ぶ者もここではただの人だ。ここでは一切の特権、個別性の放棄が余儀なくされる。まったく無名の人となって、汗にまみれ、人に押され、足を棒にして歩かなければならない。自己中心的な考え方など吹っ飛んでしまう。生半可な信仰ではとても耐えられないだろう。中心はカアバの主アッラーにあるのだ。このように信仰を心だけでなく体で、また1人きりでなくみなで一緒になって表す機会を設け給うたアッラーに感謝する。これこそ本当の信仰だと思う。

 タワーフ(周礼)の後、ザムザムの泉の水で喉を潤し、サアイー(走礼)に入る。サアイーとはイブラーヒームのエジプト人妻ハージャルが、喉の渇きを訴える息子に水を求めてサファーとマルワの2つの丘の間を行ったり来たりした故事にならったもので、アッラーの慈悲を求めながらその間を3往復半する。丘の間は約200メートルで、以前モスクの外にあったらしいが、今では中に組み込まれ、道は大理石の道、丘も人工の岩山のようだ。ここでもただひたすら歩く。大理石の床は堅く、滑るので歩きにくい。夫と手をしっかりとつなぐ。私たちのサウディ人ツアーでは結婚して1年に満たない新婚カップルが少なくなかった。女性は身内の男性に伴われないとハッジには来られないので、夫を得て早速念願のハッジを果たす、というパターンになるのだろうか。夫婦の絆を強めるためにもハッジは新婚カップルには絶好の機会といえる。

 サアイーを終えたときには午前3時を回っていたが、一向に人は減る様子がなかった。モスクの外に出て、夫の髪を一房切り落とす。ウムラ(小巡礼)は大まかに言えば、タワーフ(周礼)とサアイー(走礼)からなり、断髪で終了するのである。バスで宿舎に戻ると夜食が用意されていたので、それを食べ、ファジュル(夜明け前)の礼拝をしてから寝た。