ズル・ヒッジャ11日

 10時に聖モスク行きのバスが出るというので外に出るが、なかなか来ない。11時半近くになってようやく来たバスに乗って出掛ける。

 バスを降り、モスクに入るとちょうどズフル(正午)のアザーン(礼拝の呼びかけ)があったが、かまわずタワーフ(周礼)を開始する。それほど混んでいない。初日は人が多く、カアバをゆっくり眺める暇もなかったが、今日はカアバを見ると胸に迫るものがある。タワーフしていても涙が出る。

 2周目を始めたところで礼拝の始まりを告げるイカーマがあったので、その場で礼拝する。いわばカアバにかぶりつきの場所での礼拝で、これも胸が一杯になった。礼拝後、タワーフを続けるが、急に人が増え、混雑がひどくなった。

 タワーフを終え、黒石とカアバの扉の間のムルタジムと呼ばれる所(といってもカアバからはかなり離れていたが)でドゥアー(祈願)をした。ほんの1分にも満たない間だろうが、不思議なことにその間私たちの周囲に空間ができ、人が私たちを避けて通るので、人に押されたり気を散らされたりすることなく、落ち着いて心を込めてドゥアーすることができた。その後のイブラーヒームの立ち処での2ラカアの礼拝も、人込みを避けずっと後方で礼拝したので、人に煩わされることもなく、ゆっくりとクルアーンの言葉を噛み締めながら礼拝できた。

 その後、ザムザムの水飲み場に降りて、改めてウドゥーをし、いろいろ祈りながらいっぱい水を飲んだ。ザムザムとは、サファとマルワの間を水を求めて往復したハージャルに対し、アッラーが湧き水で応えたその泉の名で、以来、泉は今日までずっとムスリムの喉を潤し続けている。以前は井戸になっていたらしいが、今は何列も並んだ長い水飲み場で、ボタンを押せば水が出る。水道の蛇口から出る水では湧き水らしくないが、飲んでみると明らかに普通の水とは異なる柔らかい味がする。ザムザムの水でウドゥーをしていると、先程の礼拝とも合わせ、さらに罪がまた洗い流されるような心地がする。周囲の人の1人1人の肩をたたき、優しい言葉をかけてあげたいような気持ちである。

 その後、サアイー(走礼)に移る。大変な混みようで、サファーからマルワに向かう中間でしばらく前に進まなくなった。きのうのラムユ(投石)の恐怖が思い出され不安になり、夫の背中にぴったりとくっつく。祈りも大方言い尽くしたので、今は「ラーイラーハイッラッラー(アッラー以外に神はない)」をひたすら繰り返しながら人込みに耐える。マルワで人が渋滞していたが、そこを過ぎるとわりと空いていた。時々ぐいぐい無理やり押すような心無い人がいて、せっかく清々しくなった心に毒が差されるようで悔しい。

 人波に押されながら、心はアッラー、アッラーとのみ。他のことは何も考えられない。初日のときのサアイーでは、いろいろと気が散って、お年寄りを見かけては大変ね、とか、あの人どこの国の人かしらね、などと夫と無駄口をきいたりしたが、今回はもうそんな口をきく気もなく、口を開けばアッラーを称える言葉のみだ。

 サアイーの最後にマルワの丘でドゥアー(祈願)するのだが、この時もなぜか急に私たちの周囲に空きができ、落ち着いてドゥアーすることができた。天使がガードしてくれたので押されずタワーフができた、と語ったある姉妹の言葉を思い出して、きっと天使たちが私たちの周りに囲いを作ってくれたんだよ、私たちのハッジは受け入れられたに違いないよ、と私は夫の耳に囁いた。

 昨日に続き、今日も石投げが残っていた。マッカからの帰りにジャマラート(投石場)の前を通ったが大変な人出だったので、夜になってから出直すことにした。

 11時過ぎ、夜食の後でラムユに出掛ける。行ってみると随分人が減っていて、柱の近くまで行って余裕で投げることができた。ちょっと「鬼は外」の感じである。石の大きさもちょうど豆粒を少し大きくした程度である。ひとり7個ずつ、200万の人が投げるから柱はもう半分石に埋まっていた。