8月12日

 日本に着いた。一年のサウジ生活ですっかり黒のアバーヤ(外衣)に慣れてしまい、イスラームでは黒でなければならないなどという規定はないのだけれど色つきの服で外を歩くのがなんだか気恥ずかしくなってしまったので、今回の帰国のためにパキスタン服をアレンジしたものを黒で仕立てておいた。頭の覆いも黒である。しかし、その格好で外を歩いてもそれほど違和感はない。道で行きすがりの人にものを尋ねても、静岡のいなかの小店で物を買っても、相手の対応はまったく自然で、戸惑っている様子はみじんもない。ただ、一緒に歩いた妹の観察では、道行く人は、私の方を見ないのだそうだ。私の方をあからさまに見る代わり、横目でちらっとすばやく視線を這わせるのだと言う。

 サウディアラビアのように外出時には女性が髪も顔も体も隠す国からわずか1年振だが日本に帰ると、町の女性に目をくらくらさせられた。最近はまたミニスカートが流行らしく、にょきにょきと足を出した人が多く、思わず、「ハレンチな」という時代遅れの言葉を口にしてしまいそうになる。また、肩に長く垂らした髪も実になまめかしく、「いいのかしら、あんな風に頭を剥き出しにして」とはらはらした気持ちになる。さらに、気の毒なのは、似合いもしないのに流行につきあわされて足を出しだり、体の線をくっきりみせるような服を着ている人だ。人目が気になる若い女性にとって、肉体的な優劣をさらけ出さなければならない格好をするのは辛いことだろう、と同情する。アバーヤはその点、肉体的欠陥も、年齢もすべて隠してくれるので救われる。ウエスト幅が1センチ増えたの増えないの、足首が太いの太くないのに心を痛めている日本の女性が気の毒だし、こっけいだ。それにせっかくの女性の魅力を「ただで」?行きずりの人の前に晒すのはもったいないことだと思う。

 サウディアラビアのように男女がすっかり隔離され、身内以外の男性とは接する機会がないところに住んでいると、夫以外の男性と話をするのが妙に気恥ずかしく、思春期に入ったばかりの女の子のようになんだかどぎまぎしてしまう。日本人の男性には身内的な感情があるのかさほどではないが、アラブ人の場合は特に相手が男性であることを意識してしまう。男性のほうも女性に対して同じような思いを持っているに違いないと思う。男女を隔離することが、男に男らしさ、女には女らしさを一層与えているのだ。ここで言う男らしさ、女らしさとは、男を男の規定、女を女の規定に押し込めるときに使われる男らしさ、女らしさではなく、女であれば男に対し吸引力を持ち、また男の吸引力に引かれ、男であれば逆に女の気を引き、女に気を引かれるという生物的な男らしさ、女らしさである。女は腰のくびれを強調して見せるまでもなく女であり、男は胸の厚みを張って見せるまでもなく男なのである。