11月16日

 雨乞いの礼拝があるというので夫と近くのモスクに行ってみた。早朝の6時半だ。人が来ているだろうかと危ぶんでいたのだが、行ってみるとすでにモスクの周囲に駐車場所を見つけるのが困難なほど人が集まっていた。

 中に入ると同時に礼拝が始まった。普段の礼拝と異なるのは直立の姿勢の最初に何度も繰り返しアッラーフアクバルと唱えるところだ。2ラクアの礼拝の後、イマームが説教をした。雨が降らないのは私たちがアッラーの言い付けに背き罪を重ねているからなので、ひたすらアッラーに赦しを乞う。私たちは罪を犯しました、あなたの赦しを乞います、お赦しください、悔い改めます、と繰り返し繰り返し訴える。徐々にイマームの声は湿りけを帯び、しまいには涙に濡れる。女性たちの間からもしのび泣きが漏れる。ただひたすら赦しを乞うことに終始した説教が終わると、人々は着物を裏返し、あるいは逆さに着てモスクを出る。雨乞いの日には自分のもっている着物のうちでも最も粗末なものを着、さらにそれを裏返しにしてできるかぎり惨めな格好をする。そうやってアッラーの憐れみを乞うのだ。

 預言者(彼に平安あれ)が雨乞いの礼拝をした時にはにわかに空がかき曇って大雨になったと伝えられる。もちろん今日ではそんな奇跡は起こらない。それほど私たちの罪は重く、祈る心は不純なのだ。しかし、空に雨の降らないかわり、涙の雨がしとどに降った。夫は、ただ謝って涙を流せばいいってものではない、改悛とは2度と同じ過ちを繰り返さないことだ、これでは泣いたカラスがもう笑った、という感じではないか、と不満そうだったが、私は流した涙の分だけ心が潤ったと思う。少なくとも、あれほど謙虚に自分は間違っていた、赦してほしい、と頭を下げることは信仰のない人間にはとてもまねのできないこと、想像すらできないことではないかと思う。いや、信仰をもった人間ですらなかなか難しいに違いない。