10月20日

 知り合いの紹介で女性向けのイスラーム勉強会を見つけ週に2日それに出るようになった。送り迎えは運転手に頼む。私の場合、運転手がいるから日中でも出掛けたいときに出掛けられるが、さもなければ外出は仕事から帰った来た夫に頼らざるを得ない。そのため勉強会に出たくてもなかなか出られないような女性もいるようだ。1度だけ顔を出した別の勉強会ではみなでマイクロバスを雇い、それで順番に家を回って送迎するシステムを取っていた。カイロの友人の紹介で知り合ったエジプト人女性は、5年前からリヤードに住むが、懇意に行き交う友人はほとんどなく、買い物も一切ご主人に任せ、文字通り子供と家に閉じこもりっきりの生活だという。

 勉強会はキングサウド大学の構内にある女性のレクリエーションセンターで行われ、出席者はほとんど夫が大学関係者で構内の職員宿舎に住んでいる。みなアラビア語を母国語にするので最初はわからなかったが、時々交わす話から判断すると、ある者はパレスチナ人、ある者はシリア人、またある者はエジプト人、と大半はどうやら外国人らしい。

 私のためにお茶会を開いてくれたひとりの姉妹はクウェート人で、英語はもちろん、ドイツに住んでいたことがあってドイツ語も解すらしい。聞けば、カイロで医学を学び、結婚後も3年ほどは研究所で働いていたという。現在は5人の子の母親で主婦業に専念している。仕事と主婦業の両立はたいへんだったか、仕事をやめるのは辛くなかったか、と問うと、両立は難しい、仕事をやめることには特に母が残念がった、長い学業の末に取得した資格だったから、と語ってくれた。

 医者なら替えがあるが自分の子の母親は世界中でひとりしかいない、そう考えれば主婦業の選択も間違ってはいないと思うが、正直に言って私にはまだすっきりとは納得できかねる部分が残っている。自分自身、子供もいないにもかかわらず割合忙しい毎日を送っているから、これで子供がいて仕事があったらとてもやっていけないだろうと思う。そうは思うけれど職業をもつことにもまだ未練がある。自分の可能性を試したい、ということだろうか。

 以前女子大で物理学を教えていたというパキスタン人の姉妹が、サウディアラビアの学生は優秀だがちっとも勉強しない、と言っていた。将来の目標がないのだから勉強しないのも当然だろう。男たちは厳しい競争の中でもまれながら能力を伸ばし、自己の可能性を開発していく。それに比べて女性は甘やかされるから、自分自身のもっている可能性にも気づかずに無為に人生を過ごすことが多いのではないか。職業をもたなくても女性の社会参加の方法や自己表現の場はいろいろとあると思う。それでも、なんだかそれでは物足りないような気がするのは私の精神がまだ西洋かぶれから抜け切れていないからだろう。