3月5日

 ラマダーンが始まった。今はファジュル(暁の礼拝時刻でこの時刻から1日の断食は始まる)が5時10分前だから、今朝はみなで4時に起きて食事を取った。これから1か月早起きの日が続く。しかも日の出時間は日1日と早くなっていくからラマダーンの終わりには3時起きとなるだろう。イスラーム暦は太陰暦だから、正確にはきのうの晩からラマダーンの1日が始まったわけだが、実はきのうすでに断食をスタートしている人々もいる。サウディアラビアを初めとしたアラブ5カ国では一昨日の晩新月の出を認め、きのうからラマダーンに入っているからだ。エジプトでは去年も1日遅れでラマダーンをスタートしているらしい。

 きのうの晩は、サウディ時間に合わせてすでに断食に入ったアーイダと一緒に近くのモスクにタラーウィーフの礼拝に出掛けた。7時過ぎのイシャーの礼拝後に始め、家に帰ったのは10時過だったから、約2時間ほとんどぶっ続けで礼拝していたことになる。30に区切られたクルアーンを毎晩1パートずつ読んでいくのだ。この夜のお勤めに早朝の食事と礼拝、それに日中の断食が加わるのだから、仕事の能率が落ちるのも無理はない。労働時間は普段より短縮され、子供達の学校の時間も場合によっては移動される。非イスラーム圏の人々は、この能率ダウンを非常なマイナスととらえ、イスラームを旧時代的な宗教とみなし、アラブ諸国の発展の立ち遅れの原因もその辺にあると考えがちだが、それは物質主義に偏った偏見でしかないだろう。私はこのスローダウンをすばらしいことだと思う。信者のひとりひとりが日常生活をひとまず横において1か月の神事に携わるのだ。信じるというのはこういうことだと思う。信じるということがただの「信」に留どまり「行」が伴わないようではそれは本当の信仰ではない。すべての事の起こりに神があり、すべての中心に神がいるということを聖職者でない一般の信者がこれほど明白に示す宗教がほかにあるだろうか。神が第一であることを思い起こす月なのだから、他のことに差し障りを来すことは当然のことだ。イスラームには他の宗教と比べたら実に活火山と休火山ほどの違いがある。欧米のいわゆるクリスチャンがムスリムを理解しがたい不透明な存在と感じ脅威を覚えるのも、ムスリムが本当の信仰を生きているからだろう。

 ラマダーン第1日、町に出ても見掛けは普段とまるで変わらない様子で賑わっている。ただ、行き交う人がほとんど1人残らず一様に空腹とちょっぴり睡眠不足を覚えているかと思うとなんだかこっけいで笑いたくなるような、またけなげで泣きたくなるような妙な気持ちになる。食品店はいつも以上の賑わいだが、レストランにはみなシャッターが降りている。おそらく夜になってから店を開けるのだろう。

 アーイダがラマダーンの第1日目のイフタール(断食明けの食事)を家で取らないか、私を今のホームステイ先に紹介してくれた日本人ムスリムで普段から親しくしているハサンさんも呼んであるからと誘ってくれたのだが、家のウンム・アフマドおかあさんが承知しない。第1日目は家で取らなくてはだめだ、おいしいごちそうを用意しているから、とおっかない顔で言うから、結局家で食べてからアーイダの所に出掛けた。家を出てみると、普段は人通りや遊ぶ子供で賑わっている通りに人っ子1人いない。誰もが1日分の食事を一時に取っている最中なのだろう。