9月20日

 9月に入ってなんだか急に街の様子がはなやかになった。結婚式に使われる赤い唐草模様の垂れ幕を垂らした砂糖菓子屋がよく目につく。何かあるのかなと思っていたら案の定、預言者ムハンマドの誕生日ラビーウ・ル・アウワル月12日が今年は9月21日にあたることがわかった。誕生祭には砂糖菓子が付き物らしい。もちろんあくまで民間レヴェルの祭りで、宗教行事ではない。ムハンマド自身は特に祝いはしなくてよい、と確か言っている。敬虔な信者の中にはこの日1日を断食して過ごす者もいるらしい。

 預言者の誕生日は祝日になっているから、土曜日にあたった今年は金曜日の休日と合わせて2連休となる。普段でも翌日が休日となる木曜の夜には結婚式が集中するが、今週の木曜日はめでたい預言者の誕生日にさきだつ木曜日とあってか、あちこちで結婚式が行われている様子だった。ハナーの親戚筋の所でも結婚式があるというので、夜9時ころにみなで連れたって出掛けてみた。

 赤い垂れ幕が道を遮った家の前に台が仕付けられていてその上に新郎新婦の座る席が設けられていた。小路の入り口から家まで頭上には色とりどりの電球がちかちか瞬いている。脇に椅子が山積みにされていたから、そこから椅子を取って新郎新婦席の真ん前に席を陣取るが、当の新郎新婦は一向に現れる気配がない。晴れ着を着た子供達が輪になって歌っている。台の上で腰をくねらせながら踊っている子もいる。音頭を取っているのは太鼓を持った少女だが、実に器用に軽快に打ち鳴らしている。

 彼女達が太鼓の奪い合いをしたり、ステージの上で戯れていたかと思ったら喧嘩を始めたりするのを眺めるのにも飽きて来たころ、ようやく小路の入り口から盛り上がった雰囲気が伝わって来た。いよいよ登場か、と身を伸ばしてそちらに目をやるのだが、新郎新婦を取り囲んだとおぼしき人山は一向にこちらに近付いてこない。太鼓やタンバリンの音が高まったかと思うとぱたりと止み、人山も動かなくなってしまう。一軒一軒挨拶でもしているのだろうか。スポットライトの当たった人山の間からちらちらと新婦の白いウエディングドレスが見える。きちんとヴェールを付けた女性たちとばかり普段付き合っているからよく分からなかったのだが、宗教意識が高くきちんと戒律を守っている人達は、若者の間で増えているとはいえまだまだずっと少数派にすぎないことがこの結婚式に来てよくわかった。出席する女性の半数は頭に何も着けていない。台座に着いてようやくじっくり見ることのできた新婦も、頭から足の先まですっかり西洋風で、きれいだが厚化粧でかぶれたかといいたくなるくらいに赤くほお紅をはいている。17才だということだが、とてもそんなふうには見えない。

 耳をつんざくようなマイクの音に閉口し早々にその場を失礼したが、さして離れてはいない家に帰るまでに、同じような電球を吊し、同じような音楽に盛り上がった小路を幾つも見掛けた。以前招待された原理主義者の姉妹の結婚式には他の用事で残念ながらいけなかったが、彼女らはどんなふうな結婚式をするのだろうか。

 日本ではほとんど子供と接触する機会のなかった私は、子供に対し苦手意識があり、自分が子供を持つということに関してもあまり具体的なイメージを持てなかったのだが、エジプトにいるとどこに行っても子供だらけだから厭でも子供の愛らしさが目につき、産むのもいとも簡単なことのように思えて来る。親戚の赤ん坊をよく預かるハナーは私などよりずっと子供の扱いに慣れていて、もういつ母親になっても大丈夫といった感じだ。実際アーイダはハナーの年に結婚し翌年には長男を生んでいる。ここでは結婚することと母親になることは直結していて、花嫁道具にも補乳ビンやベビー服がちゃんと入っている。

 日本では共働き、高い育児・教育費、さらに住居問題などから簡単には子供を生めない状況になっている。また、兄弟が少ないうえ、近所付き合い親戚付き合いもあまりないから、おそらく自分の子供を持ってみて初めて赤ん坊と接するという若い母親が少なくないはずで、育児に関し戸惑うことが多いのではないだろうか。エジプトの少女は、まわりで絶えず誰かが子を産んでいるのを見て育つから、自分が母親になるまでに十分知識も要領も得ているに違いない。また、自分の母親をはじめよきアドヴァイザーに囲まれているから、育児の不安、精神的負担は、日本人の新米母親よりずっと少ないはずだ。エジプトのような国に住むのだったら、私も4人でも5人でも子が持てそうな気がする。子が多いのは親にとっても兄弟にとっても幸福なことだと思う。