8月11日

 エジプトに来て5日目、下町のエジプト人家庭でホームステイを開始した。中流の下、あるいは下流の上あたりか。エジプトの上流階級がどんなものか、また、下層階級がどんなものか知っている訳ではないので全くのあて推量に過ぎないが、ともかく戦後直後の日本はかくあらんと思わせる景色だ。一般にエジプトの建物はみな土色をしているので味気無いが、このあたりも土をこねあげて作ったような、道と同色のきたない建物がごたごたと建てこんでいる。そして、これまたあちこちで見られるように、本当はもう一階作る予定だったが費用が続かず工事を中止したかのように最上階には剥き出しの鉄筋がにょきにょき伸びている。外枠だけの建物が作りかけのまま人も住めずに放置されている所もある。

 ここでは、水道を使う時は水を汲み上げるためのモーターにいちいち電源を入れなくてはならない。ただし、日中は断水することが多いので、夜中のうちに風呂桶、たらいに水を張って、昼間はこれを汲んで使う。したがってトイレも流れないことが多いが、空気が乾燥しているせいか、まるで臭わない。

 食事は、いわゆるちゃぶ台か、床にお盆をしいて車座になって食べる。こちらの衛生観念はおそろしくおおざっぱで、ソファの上はおろか、人が踏みならしたじゅうたんの上にも平気でパンを置く。自分のものと人のものとの区別がなく、ひとつのお皿をつつき、ひとつの水差しを回し飲みする。手は食事前に洗うものだとばかりおもっていたが、手づかみで食べるここでは後に洗うのがエチケット。定評通りエジプトの家庭料理は大変おいしいが、塩気がかなり強い。それはいいのだが、紅茶にこれでもかとばかりにいれてくる砂糖の多さには参る。

 ホームステイ先の家庭には、50台前半と思われる夫婦に15と11になる女の子と、9つくらいの男の子がいる。上にさらに2人息子がいるが、私が部屋を借りたので居場所がなくなって2階上の空き部屋に移った。あとで知ったことだが、今はまだほとんど住めない状態にある階上のアパートは、いずれ息子が所帯をもったときに住むようにと買ってあるものらしい。おかみさんは、一家の主婦らしく立派な肉付きで声も大きい。2人の娘はきゃしゃでとてもかわいいが、おかみさんも若かりしころはそうだったのだろうか。

 結婚年齢は一般に低く、近所に住むおやじさんの妹のアーイダも、若いがすでに9才を頭に4人の子持ちですっかり太っている。てっきり年上だと思っていたので24と聞いて驚いた。向こうも私の年令を聞いてくるので、大いにさばを読んで25と答えると、嘘でしょうと言う。嘘だとしたら本当は幾つだと思うか、と問うと20だろう、と言う。パスポートを見せろというので観念して30であることを明かすと絶句していた。

 アーイダとは結婚前の名で、今はウンム・サイフと呼ばれている。つまりサイフのお母さん、ということで、サイフ(正確にはサイフ・アッラー)は2才になる彼女の末っ子だ。呼び名は子ができるごとに変わるのだそうだ。アイデンティティとなるはずの名前が子が出来る度に変わるなんて妙な話だとはじめは思ったが、数日彼女の生活を観察して合点が入った。彼女はなによりもまずサイフのおかあさんとして規定されるのだ。家の中はもちろん、出掛けるときもたいていサイフと一緒、サイフと彼女は2人でワンセットなのだ。特に彼女のように外出の際には顔を黒い布ですっかり覆ってしまう場合、彼女を見分ける目印は抱き上げられたサイフ以外にない。[後になって、彼女は本当はウンム・アブダッラーと呼ばれていることがわかった。やはり長男の名を取って呼ばれるのだ。ただ、最初のころは私が彼女の子供にはサイフとしか会っておらず、他の子供達はごちゃごちゃと見分けがつかなかったので、そんな私への便宜上、ウンム・サイフと名乗ってくれたのが真相のようだ。]

 15になるハナーとは何とか意志の疎通が出来るが、おかみさんのアラビア語はまるで分からない。何度聞いても分からない。かなりエジプト方言がまじっているのだと思う。そのうえ声が大きいから叱られているみたいで混乱してますます分からなくなる。2時間おきぐらいに、おなかは空いていないか、食べたくないか、と聞いてくるので弱ってしまう。とってもきれい好きで、というより整頓好きで、読みさしの本でもベッドにほっておくとさっさと片付けられてしまう。家具はみな粗末だけれど十分目が行き届いていて、そうじも1日置きにきちんとやっている。娘のハナーもかいがいしく家事の手伝いをし、なにくれとなく私の世話を焼いてくれる。いつも大変な気配り様で、人の役に立つことに限りない喜びを覚える、といった感じ。きっといいお母さんになるのだろう。彼女自身はそうした生活になんの疑問ももっていないだろうし、今のままで十分しあわせなのだろうが、外の世界から来た私などにはなんだか痛々しい感じがしないでもない。

 今は夏休みで、子供達は遊びくれている。宿題などない様子。教科書を見せてもらおうと思ったが、学校に置いてあるという。子供達の活動が活発になるのは夕方過ぎてからだ。皆、路地にでてきて遅くまで遊ぶ。11時を過ぎても歓声が聞こえる。大人たちも夕涼みがてらあちこちで歓談している。

 ここ、エジプトでは一昔も二昔からもまるでかわりないゆっくりとした時が流れているようだ。だから、子供達は日本の子供達よりものんびりと落ち着いているようだし、女たちは時を忘れたようにおしゃべりに花を咲かせる。

 1日の区切り目はもちろん5回の礼拝だ。約束事をするときも、正午のお祈りの後に、だとか、日没後のお祈りまでに、などと言って約束する。日本でも一昔前までは、今の2時間を1単位とする時間を用いていたが、そのころは時の流れものんびりしていたのだろう。時間に追われていると心がぎすぎすして来るが、時間をありあまるほど持ったエジプト人はみな大変親切だ。

 エジプト人と接していると、日本人がどれほど文明病に毒されているかがよく分かる。日本人の潔癖は、デリケートな神経の現れを通り越し、1億人総デカダンスによる神経症と言っていいだろう。はだしで駆け回る子供達、手づかみで取る食事を見ていると、こちらのほうがずっと人間らしく、様々な小道具なしでは生活出来ない自分がロボットかなんかのような気がして来る。朝晩歯ブラシで歯をみがくことすら恥ずかしくなってくる。

 エジプトでは個人主義なんて言葉は何の意味も持たない。子供達は兄弟で1つのベットに眠り、個人の勉強机もなく、要するに個人のスペースはどこにもない。夫婦の寝室も人が集まれば客間に変わる。私の部屋も決して私だけのものではなく、みなが遠慮なく出入りしている。